スパチャイUNCTAD事務局長の略歴
プレスリリース 05/036-J 2005年04月11日
コフィー・アナン国連事務総長は2005年2月28日、タイのスパチャイ・パニチャパック氏を2005年9月1日から2009年8月31日までの任期4年で、国連貿易開発会議(UNCTAD)事務局長に指名しました。
スパチャイ博士は1974年、タイ中央銀行で社会人としてのスタートを切りました。1980年代前半には、経営困難に陥った金融機関の救済措置を第一人者として考案。公共部門の対外債務を厳しく抑制する措置の導入にも重要な役割を果たしました。
1986年、スパチャイ博士は中央銀行職員から議員に転身。中央銀行での優れた実績とキャンペーンが功を奏し、議員1期目で財務副大臣に起用されました。在任中には付加価値税制の導入やタイ輸出入銀行設立の基盤固め、国有企業の膨大な資金の利用改善などを手がけています。1980年代末には国政を離れ、市中銀行の頭取や企業の会長として民間で活躍。主としてタイ民間部門の国際化に努めました。
1992年には上院議員に、さらにその後はタイの経済・通商政策を担当する副首相に就任。国際通商政策に積極的に関与し、ウルグアイ・ラウンド合意を議会による批准へと導きました。その間、アジア太平洋経済協力会議(APEC)や東南アジア諸国連合(ASEAN)による貿易促進活動との連携にも努めています。
さらに幅広い地域・国際舞台で、スパチャイ博士は数多くの貿易・投資促進フォーラム、グループ、開発プロジェクトの発案者や熱心な支持者として活躍。アジアとヨーロッパの政府代表が一堂に会し、両地域諸国間の関係緊密化を図るアジア欧州会合(ASEM)の発足に際しても、先頭に立って働きかけを行いました。また、大メコン圏や、南アジアと東南アジア諸国の連携を図る経済グループ創設の原動力としての役割も果たしています。
タイの金融危機を受けて1997年11月に政権が交代すると、スパチャイ博士は経済政策担当副首相兼商務相に任命されました。2000年には、バンコクで開かれた第10回UNCTAD総会で議長を務め、前年のシアトルでのWTO閣僚会議決裂後の多国間プロセスに対する信頼の回復に大きく貢献しました。
1999年9月には、世界貿易機関(WTO)事務局長に選出。2002年9月1日に就任しました。
1963年から1973年にかけ、スパチャイ博士はタイ中央銀行からの奨学金を受けてオランダに留学。ロッテルダムのNetherlands School of Economics(現エラスムス大学)で計量経済学・開発計画修士号と経済計画・開発博士号を取得しました。1973年には、初のノーベル経済学賞受賞者であるヤン・ティンバーゲン教授の指導で博士論文を完成。同年に客員研究員としてケンブリッジ大学に迎え入れられ、開発モデルに関する研究に従事しました。
Educational Growth in Developing Countries (1974)、Globalization and Trade in the New Millennium (2001)、China and the WTO: Changing China, Changing World Trade (2002、マーク・クリフォード氏と共著) など、数多くの著作もあります。
スパチャイ博士は1946年バンコク生れ。ササイ夫人との間に息子1人と娘1人。
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SG/A/908
BIO/3641
TAD/2016