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「国際女性の日」2012 ~東日本大震災から一年、女性たちは今~ 【第2回】

2012年03月12日

シリーズ第2回目は、東日本大震災で被災し、福島の警戒地域から東京に一時避難しているAさん(52歳)です。先が見えない不安を抱えながらも、3人のお子さんのシングルマザーとして、前向きにたくましく生きていらっしゃる姿が印象的です。

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【第2回】福島の警戒地域から避難、自分の力を信じて歩み続ける

Aさんは震災当日の3月11日、福島県内の警戒区域にある自宅を離れ、現在は3人の娘さんと東京都内で避難生活を送っています。彼女にとって最も深刻なのは、仕事を失ったことから生じる経済的な不安と子どもたちへの影響です。2013年4月までという期限付きで東京都内の住居を確保したものの、職を探して面接までたどり着くと、「いつまで東京にいる予定ですか」と問われます。答えに窮するAさんは今、住居が定まらない状況での就職の厳しさを痛感しています。

実は、Aさんは外国籍であるため、被災した多くの日本人のように行政から支援関連の情報が直接届かないなど、多くの苦労を味わってきました。彼女は以前に外国人と結婚し、現在は外国籍から日本人に戻るための帰化の手続きをしています。

経済的な不安は家族全員に重くのしかかっています。「子どもは待ってくれません。お金がないからといって、お弁当箱や靴が買えないなんていう選択はありません」将来についても「白紙です。目前のことはできても、先のことは考えられません。今は流されて生きています」と、苦悩に満ちた思いを率直に語ってくれました。

とりわけ、子どものことは心配です。特に高校生の長女が精神的に落ち着いて通学できるようになるには、まだ時間がかかるだろうとAさんは思っています。津波で命を落とした友人がたくさんいるからです。できる限り子どもをそばで見守り、夏休みまでは仕事を控えようと決意したのも、夜になると怖がって眠れないなど精神的な不安が子どもに見られたためでした。

既婚女性が抱える問題も深刻だとAさんは言います。子どもと共に県外で避難しているものの、配偶者の多くは福島で仕事を続けており、「子どもと一緒に早く福島に戻って来てほしい」と訴えているそうです。しかし、彼女たちは母親として、放射能について大きな不安を抱いており、子どもと福島に戻ることに躊躇しています。「福島の家にはもう帰らない」。これが子どもの健康を最優先にして出したAさんの答えです。シングルマザーであるからこそ、一人で下した決断でした。

「被災者は皆同じ支援を受けるべきです。みんなと一緒にこの悲惨な状況を乗り越えていきたい。高齢者や子どもなど、福島には私よりもっと深刻な状況にある被災者がたくさんいます。まずは私たちの置かれた状況を知って欲しい」と訴えるAさんの視線は、真っ直ぐ前を見据えていました。

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第1回「もっとジェンダーの視点に立った支援を

第3回「被災した外国人女性、新しい職を得て、自らの生き方と周囲を輝かす

第4回「真の豊かさを求めて、仕事づくりで地域の活性化を図る

第5回「雇用対策を初めから復興支援に組み入れる

東日本大震災で大きな被害を受けた福島県の避難所を訪問し、被災者を激励する潘基文(パン・ギムン)国連事務総長(2011年8月) © UN Photo/Evan Schneider
ニューヨークの国連本部で開催された「東日本大震災写真展」を鑑賞する潘事務総長(2011年10月)©UN Photo/Evan Schneider
2010年1月、ハイチ大地震に見舞われた被災者。仮設テントの中で、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)による食料・医療支援を受けた(ハイチの首都・ポルトープランで)©UN Photo/Sophia Paris
「国際女性の日」を記念して行われた会合で、農村の女性と女児のエンパワーメントについて話す潘事務総長(2012年3月7日)©UN Photo/Eskinder Debebe