元国連事務総長 コフィー・アナン
ガーナ出身のコフィー・A・アナン氏は第7代国連事務総長で、1997年から2006年までの任期を務めました。国連職員の地位から選出された初めての事務総長でした。
事務総長としての主要な優先課題の一つは、国連の活性化と国際システムの実効性の強化を目的とする包括的改革プログラムの実行でした。アナン氏は人権、法の支配、ミレニアム開発目標(MDGs)およびアフリカに対する一貫した支持者であり、市民社会、民間部門、その他のパートナーとの関係の構築によって、国連を世界中の人々に近づけようとしました。
アナン氏の主導により国連の平和維持機能が強化され、活動と要員の急速な増加への対応が可能となりました。2005年に国連加盟国が平和構築委員会および人権理事会の2つの新しい政府間機関を創設しましたが、これもアナン事務総長の強い要望によるものでした。アナン氏は同様に、エイズ、結核およびマラリアに取り組むための世界基金の創設、国連による史上初のテロ対策戦略の採用、そして大量虐殺や戦争犯罪、民族浄化、人道に対する罪から人々を「保護する責任」を国連加盟国に認めさせる上で中心的役割を果たしました。1999年に始まったアナン氏の提唱する「グローバル・コンパクト」は、企業の社会的責任を促進させるための世界最大の取り組みとなっています。
アナン氏は広範にわたる外交的イニシアチブを発揮しました。1998年にはナイジェリアの民政移管の促進に手を尽くしています。また、同年にイラクを訪問して、兵器の査察などを含む決議の順守をめぐるイラクと安全保障理事会のこう着状態の解決に尽力し、その努力は当時切迫していた戦争勃発の回避に寄与しました。1999年には、東ティモールがインドネシアからの独立を手にする過程に深く関与しています。2000年にはイスラエルのレバノンからの撤退を自らの責任で保証し、2006年にはイスラエルとヒズボラによる紛争の中止に貢献しました。2006年にはこのほか、カメルーンとナイジェリアのバカシ半島をめぐる係争に関して、国際司法裁判所の判決の履行による解決の仲立ちをしています。国連の管理、一貫性および説明責任を強化するためのアナン氏の努力は、トレーニングやテクノロジーへの大規模な投資、内部告発者に関する新方針および財務情報の開示要求の導入、並びに国家レベルでの協調の向上を目的とする方策を伴うものでした。
主な経歴
アナン氏は1962年、ジュネーブの世界保健機関(WHO)の行政・予算担当官として国連システムに加わりました。その後、アジズアベバのアフリカ経済委員会、イスマイリアの国連緊急軍(UNEF II)、ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務したほか、ニューヨークでは人材、予算、財務および職員の安全性を扱う様々な上級職を歴任しています。事務総長就任の直前には平和維持活動(PKO)担当の事務次長を務めています。さらに旧ユーゴスラビアに関する事務総長特別代表として任務を遂行した(1995~1996年)ほか、900人を超える国際職員および非イラク国民のイラクからの帰還を促進しました(1990年)。
学歴
アナン氏はガーナのクマシ科学技術大学で学んだ後、1961年に米国ミネソタ州セントポールのマカレスター大学経済学部を卒業しました。1961年から1962年にかけてジュネーブの国際高等大学で大学院課程を履修、1972年にはマサチューセッツ工科大学のスローンマネジメントスクールで科学修士号を取得しました。
受賞歴
2001年、アナン氏は国際連合とともにノーベル平和賞を受賞しました。また数多くの名誉学位、その他多くの国内外の賞、勲章、栄誉を受けています。
個人的情報
1938年4月8日、ガーナのクマシ市生まれ。英語、フランス語およびいくつかのアフリカの言語に堪能。ナーネ夫人との間に子ども3人。
アナン氏は2018年8月18日、死去しました。