元国連事務総長 トリグブ・リー
トリグブ・リー氏は1896年7月16日、マルティン・リーとフルダ・アルネセン・リーの息子としてノルウェーのオスロで生まれました。オスロ大学で学び、1919年に法学士号を取得しました。1921年11月8日にヒョルディス・イェルゲンセンと結婚、ジゼル、グリ、ミーの3人の子どもがいます。
リー氏は1911年にノルウェー労働党青年団に入党しました。1919年から1922年まで労働党書記官補佐を務め、1922年から1935年まではノルウェー労働組合連合会の法律顧問、1926年には労働党の全国事務局長を務めました。ヨハン・ニーゴールスヴォル首相が樹立した労働党政権では1935年から1939年まで法務大臣、さらに1939年7月から9月まで通商産業大臣を務めましたが、第二次世界大戦が勃発すると軍需海運大臣に就任しました。1940年4月にドイツが侵攻すると、この役職において連合軍のためにノルウェー艦隊を保全する暫定措置を講じました。同年6月、ノルウェー政府が亡命政権として戦闘を継続することを決定すると、英国に渡りました。
1940年12月に外務大臣代理に就任し、1941年2月にノルウェーの外務大臣に任命されました。1936年にはノルウェー国会議員に選出され、1945年に再選を果たしました。1945年6月12日に所属する党が政権を去ると、リー氏は後を継いだ暫定連立内閣で外務大臣に任命され、さらに1945年10月に新たに成立した労働党政権で外務大臣の職に就きました。
リー氏は1945年4月にサンフランシスコで開かれた国際機構に関する連合国会議のノルウェー代表団を率い、国連憲章の安全保障理事会に関する条項を起草する第三委員会委員長を務めました。また、1946年1月にロンドンで開催された国連総会のノルウェー代表団長も務めました。1946年2月1日、リー氏は初代国連事務総長に選出され、1946年2月2日に開かれた国連総会第22回会合において正式に任命されました。1950年11月1日の国連総会でリー氏に対し、1951年2月1日から3年間の2期目の任期が決議されました。1952年11月に国連事務総長の職を辞任しました。
国連を辞した後、リー氏はオスロおよびアーケシュフースの知事、そしてノルウェーのエネルギー委員会委員長を務めました。1958年の国連総会決議に基づき、ノルウェーのオラフ国王は、旧イタリア植民地であるソマリアを含む、エチオピアとイタリアの国境紛争解決の糸口となる根拠を探ることを要請され、1959年にリー氏を調停役に指名しました。 リー氏は1968年12月30日に死去しました。