国際連合とオリンピック停戦 ~ よくある質問 ~
プレスリリース 04/065-J 2004年07月13日
アテネオリンピックを間近に控え、「オリンピック停戦」に関するお問い合わせが増えてきました。以下は、国連広報局の資料 The United Nations and the Olympic Truce – Frequently Asked Questions -(国際連合とオリンピック停戦/よくある質問)の日本語訳です。
●古代ギリシャでは、オリンピック停戦はどのような目的を果たしていましたか?
聖なる停戦とも呼ばれているオリンピック停戦は、紀元前8世紀に制定され、ギリシャ語ではエケケイリアといって「手をつなぐ」という意味を持っています。古代ギリシャ王のイフィトス、クレオステネス、リュクルゴスが、当時としては史上最長となる停戦協定であったオリンピック協定に署名し、後にこれがギリシャの都市国家間で条約として承認されました。この国際的な協定によると、停戦はオリンピック開会の7日前に開始され、オリンピック閉会の7日後に終了し、停戦期間中はすべての戦いが停止されました。停戦は、オリンピックに出場する選手やその他の大会参加者、また観客が古代オリンピアに安全に到着し、安全に帰路につくことができることを約束しました。オリンピック協定は、過去12世紀の間、オリンピック大会の拠り所としてその役割を果たし、大部分は忠実に順守されてきました。
●現代社会において、オリンピック停戦はどのような目的を果たそうとしていますか?
オリンピック停戦は、世界平和のための一つの手段となり得ます。オリンピック停戦は、対話と平和を促進することができます。人類に対して、武器を置き、平和、相互尊重、理解、和解に向けて努力することを呼びかけます。オリンピック開催中は停戦を呼びかけ、世界中の若者を平和という目的のために集結させます。期間と規模では限られていますが、オリンピック停戦は中立的な合意点、対話を開くための窓口、苦しむ人々に救援を送るための小休止を提供します。
●オリンピック停戦のシンボルマークは何ですか?
オリンピック停戦のシンボルマークは、オリンピックの五輪の上に燃え上がる伝統的なオリンピック聖火を背景とし、その上に平和の鳩が描かれています。シンボルマークにある聖火はさまざまな色で彩られ、人間の精神を祝う祭典を思い起こさせます。多彩な色は、停戦の順守のために集まった全ての人種を象徴しているのです。
●なぜオリンピックの理念は国連の理念と同じだと言えるのですか?
コフィー・アナン国連事務総長は次のように述べています。「寛容、平等、公正、そして何よりも平和といったオリンピックの理念は、国連の理念でもあります。オリンピックと国連は、ともに勝利チームとなることができます。しかし、この競技に勝つことは容易ではありません。戦争、不寛容、欠乏が世界にはびこり続けています。私たちは反撃しなければなりません。選手たちが世界記録を求めて努力するように、私たちも世界平和を求めて努力しなければなりません。だからこそ、国際オリンピック委員会(IOC)がオリンピック停戦という古代ギリシャの伝統をよみがえらせ、オリンピック会期中はあらゆる戦いをやめるよう呼びかけるということは、大変意義深いことなのです。私は国連総会とともに、現在戦いのさなかにある全ての人々にオリンピック停戦を順守するよう呼びかけます。これは、非現実的なことに聞こえるかもしれません。しかし、どの選手も言うように、夢なくして何も起こり得ないのです」
●オリンピック停戦は、いつから国連総会の議題として取り上げられるようになったのですか?
1993年です。1992年にIOCが古代のオリンピック停戦の観念を蘇らせるためのイニシアチブを取りました。オリンピック停戦がより大きな影響力を得るよう、IOCは国連にこのアイディアを伝えました。IOCの要求は好意的に受け入れられ、第48回国連総会の議題として取り上げられることになりました。第48回国連総会は、IOCの百周年を機して、121の国連加盟国が共同提案するオリンピック停戦の順守に関する決議を採択しました。オリンピック停戦を支持する1993年の決議A/RES/48/11は、オリンピック史上画期的な出来事でした。注目すべき点として、オリンピック停戦に関する国連総会の決議は、国連史上いかなる決議よりも多くの加盟国に支持されました。また、オリンピック停戦は総会において2年ごとに話し合われる議題でもあります。
●オリンピック停戦のこれまでの功績は何ですか?
- 1994年、冬季オリンピック大会(ノルウエー、リレハンメル)
オリンピック停戦により、国際オリンピック委員会派遣団は、1984年の冬季オリンピック大会の主催都市であり、当時戦火によって引き裂かれていたサラエボを訪れ、住民と連帯感を共有することができました。 - 1998年、冬季オリンピック大会(日本、長野)
オリンピック停戦により、コフィ-・アナン国連事務総長はイラクを訪れ、イラクの危機に対し外交的な解決を見出す機会を得ました。 - 1999年、180の国連加盟国によるオリンピック停戦の採択
オーストラリアのシドニーで開催する第27回オリンピアドの期間中はオリンピック停戦を順守する過去最多の国が支援されました。 - 2000年、国連ミレニアム・サミット
150もの元首・首脳が、オリンピック停戦の順守に関する章(第10章)を盛り込んだ、画期的なミレニアム宣言を採択しました。 - 2000年、第27回オリンピアド(オーストラリア、シドニー)
大会の開会式で、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の代表団が同じ国旗の下で共にスタジアムに入場しました。 - 2002年、オリンピック停戦のための署名運動
各界で活躍する多数の有名人が、世界各地でオリンピック停戦のための署名運動の先頭に立ちました。
オリンピック停戦に関する詳細は
ウェブサイト www.olympictruce.org をご覧下さい。