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国際連合とノーベル平和賞
(背景説明)

プレスリリース 01/93-J 2001年10月30日

 国連システムはこれまで5回にわたり、ノーベル平和賞を受賞している。

  • 1988年、国連平和維持活動が受賞。
  • 1954年と1981年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が受賞。
  • 1965年、国連児童基金(UNICEF)が受賞。
  • 1969年、国際労働機関(ILO)が受賞。

コフィー・アナン氏は、ノーベル平和賞を受賞した2人目の事務総長である。国連の第2代事務総長、ダグ・ハマーショルド氏は1961年、国連の強化に尽した活動を評価され、没後に平和賞を受賞した。

 ハマーショルド氏の受賞は、コンゴでの和平ミッション中、ンドラ(現在のザンビア)付近での航空機墜落事故で同氏が死亡してから数ヵ月後に決定した。

 国連に直接関係する活動により、個人がノーベル平和賞を受賞したケースも多い。

    • 米国のコーデル・ハル国務長官は1945年、主として同人および米国の国連創設に際する強力な指導力を評価され、受賞した。
    • 英国のジョン・ボイド・オア卿は1949年、国連食糧農業機関(FAO)の初代事務局長として、同人の科学的発見が「国家間の協力を促進する」ために用いられたことを評価され、受賞した。
    • パレスチナでの国連の代理調停者を務めたラルフ・バンチ氏は1950年、1949年の戦争当事者間の休戦取り付けを評価され、受賞した。
    • レスター・ピアソン氏は1957年、主としてスエズ紛争終結と国連を通じた中東問題解決への努力に果たした役割を評価され、受賞した。カナダの外相として、同人は当時、国連を主導する政治家の一人であった。

国連受賞の理由

 ノーベル賞の寄贈者であるアルフレッド・ノーベル氏は、その遺言で、過去一年間に「人類に最大の恩恵をもたらした」人々にこれらの賞を授与すべきこと、また、賞のうちのひとつは「国家間の友愛、常備軍の廃止あるいは削減、および、和平会議の開催と促進に最大あるいは最善の貢献を行った」人々に授与すべきことを記した。

 1988年に平和賞を授与する際、ノルウェーのノーベル委員会は「国連の平和維持軍は、きわめて困難な条件下で、休戦合意が成立したものの、平和条約が確立していない場合における緊張の緩和に貢献した。このような状況で、国連軍は、話合いで和平を実現するという国際社会の明確な意思を表示し、その存在によって実際の和平交渉を開始する上で決定的な貢献を行った」と述べた。

 1988年のノーベル平和賞授賞式で、ハビエル・ペレス・デクエヤル事務総長は、平和賞とそれによる注目が「国際的な事柄をより平和で公正なやり方で運営する私たちの能力を強化するだけではなく、私たちに共通の将来を保障するために必要となる新たな手段と新たな制度を検討するためのさらに幅広い努力を刺激するものと期待する」と述べた。

 1981年、UNHCR2度目の平和賞を授与するに当たり、ノルウェーのノーベル委員会は、世界には「おびただしい数の難民がおり、しかもその数は増え続けている」と述べた上で、「私たちはまさに、肉体的にも精神的にも、人的な災害と惨禍の洪水に直面している」と付け加えた。こうした中で、UNHCRは「多くの政治的困難への対処を迫られながらも、難民を援助するための極めて重要な作業を遂行した」のであった。

 1969年、創設50周年を迎えるILOに平和賞を授与する際、ノーベル委員会のアーセ・リネス議長は、「平和を望むのなら、正義を育てよ」というその根本的な道徳的思想を実行に移す上で、ILOほどの成功を収めた機関はほとんどないと述べた。同議長はまた、社会的正義を求める声が、「50年前のILOの創設によって大きな勢い」を得たと付け加えた。

 UNICEFの受賞は1965年。アーセ・リオネス氏は授賞式で、UNICEFは「平和のきわめて重要な要素である。UNICEFは将来への鍵を握るのが子どもたちであること、つまり、今日の子どもたちが将来の歴史を作ることを認識している。UNICEFは今、豊かな国々と貧しい国々の間に連帯の架け橋を設けつつある」と述べた。

 ダグ・ハマーショルド氏は1961年、ノーベル委員会のグンナル・ヤーン氏が授賞式で述べたとおり、「国家と人間の間に平和と善意を作り出すために同人が行ったすべてのこと、同人が達成したこと、そして同人が勝ち取ろうとしたものに敬意を表し」平和賞を受賞した。ヤーン氏によれば、ハマーショルド氏は「当初から自分の選んだ道、つまり、国際的な感覚と行動力を備えた人々が奉仕する強力な事務局によって運営され、国連憲章に謳われた原則に生気を与えることのできる実効的で建設的な国際機関へと国連を発展させる道から、決して外れることがなかった。同氏が常に達成に努めていた目標とは、国連憲章をあらゆる国々が自らを律する拠り所とすることであった。」