<背景資料> 核兵器不拡散条約(NPT)2010年再検討会議 (2010年5月3日-28日、ニューヨーク)
プレスリリース 10-023-J 2010年04月29日
2010年核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は、2010年5月3日から28日にかけ、ニューヨークの国連本部で開催されます。議長はフィリピンのリブラン・ヌエバス・カバクテュラン大使が務めます。
NPTは特にその第8条第3項で、5年ごとに条約の運用を再検討すると定めていますが、この規定は1995年NPT再検討・延長会議と2000年NPT再検討会議でも改めて確認されました。
2010年再検討会議では、締約国が2005年以来の条約規定履行状況を検討します。
NPTは、核兵器と兵器技術の拡散を防止し、原子力の平和的利用に関する協力を促進し、核軍縮と全般的な完全軍縮の達成を目指すことを目的とした、画期的な国際条約です。核兵器国が軍縮目標の達成を拘束力のある形で約束している多国間条約は、NPT以外にありません。
1968年に署名が始まったNPTは、1970年に発効しました。それ以来、NPTはグローバルな核不拡散体制の基盤となっています。核兵器国5カ国を含む189カ国が加入するNPTは、多国間軍縮協定の中で最多の加入国数を誇っています。
2005年再検討会議以来、モンテネグロが国家継承により、新たに条約に加わりました(2006)。インド、イスラエルおよびパキスタンは未加入です。2003年に条約脱退を表明した朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)は、まだ条約への再加入を決定していません。
条約の経緯
核の時代が幕を開け、広島と長崎に原子爆弾が投下された1945年当時から、国家による原子力開発が、技術や核物質の兵器転用につながりかねないことは認識されていました。よって、このような転用の防止という問題は、原子力の平和的利用に関する議論で中心的な課題となりました。
1946年には、適切な保障措置を設けた上で、すべての国に原子力技術の利用を認める国際的な制度創設の取り組みが始まりましたが、これは1949年、大国間の深刻な政治対立により、目的を達成できないまま幕を閉じました。その時点ですでに、米国と旧ソ連はともに核実験を遂行し、核兵器の備蓄を始めていました。
ドワイト・D・アイゼンハワー米大統領は1953年12月、第8回国連総会で「平和のための原子力(Atoms for Peace)」提案を発表し、平和的な原子力技術を普及させる一方で、非核兵器国の兵器能力開発を阻止するための国際機関を設置するよう求めました。この提案を受けて1957年に設立された国際原子力機関(IAEA)は、原子力技術の推進と統制という二重の責任を負っています。
IAEAによる技術援助活動は1958年に始まりました。1961年に小型原子炉について導入された暫定的保障措置は1964年、より大型の施設も対象とする制度に置き換えられましたが、これはさらに数年のうちに、追加的な原子力施設にも拡大されました(INFCIRC/66および修正文書)。IAEAによる保障措置の実効性強化と効率改善に向けた取り組みは、その後も続けられ、1997年5月にはIAEA理事会がモデル追加議定書(INFCIRC/540)を承認しました。
国連の枠内では、すでに1957年に核不拡散の原則が交渉で取り上げられていましたが、1960年代に入ると、これが大きなうねりとなりました。1960年代半ばまでに、核不拡散を国際的行動の規範として堅持する条約の構造が明確にでき上がり、さらに1968年までには、核兵器の拡散を防止し、原子力の平和的利用に向けた協力を可能にするとともに、核軍縮達成という目標を目指す条約に関する最終的な合意が生まれました。条約は第10条で、発効から25年後に会議を開き、その効力を無期限に延長するか、それとも、一定の期間だけ有効期限を延長するかを決定すべき旨を定めました。この規定に基づき、1995年5月に開かれたNPT再検討・延長会議では、締約国が票決なしで、条約の無期限延長に合意し、その後5年ごとに引き続き再検討会議を開くとの決定を下しました。
NPT再検討プロセス
NPT再検討会議は1970年の条約発効以来、5年ごとに開催されています。各回の会議では、条約規定の履行状況を評価し、これをさらに強化するための措置を勧告する最終宣言への合意が図られてきました。1975年、1985年および2000年の再検討会議では、最終宣言への合意が見られましたが、1980年、1990年および1995年の会議は合意に至りませんでした。主な争点としては、核兵器国が条約第6条(核軍縮)の要件を十分に満たしているかどうかという問題のほか、核実験、核兵器の質的開発、核兵器国の非核兵器国に対する安全の保証、原子力の平和的利用分野での協力などの問題があげられます。
1995年NPT再検討・延長会議には、条約の運用検討とその延長決定という2つの目的がありました。条約履行状況の検討に関する合意は成立しなかったものの、締約国は票決なしで一連の決定を採択しました。この決定には、(a) 条約の再検討プロセスを強化するための諸要素、(b) 核不拡散と核軍縮に関する原則と目標、および、(c) 条約の無期限延長のほか、中東に関する決議が盛り込まれました。
2000年の再検討会議では、新たな再検討メカニズムに加え、締約国が「条約の恒久性」を受け入れ、これを無期限延長した際に合意されたアカウンタビリティ理念の効果が実証されました。締約国は15年ぶりに審議を完結し、過去の条約実績を評価する最終文書を採択したほか、核不拡散と核軍縮、原子力の安全性と平和的利用に関する多くの問題で合意にこぎつけたからです。
最終文書は、核不拡散と核軍縮の強化を図るグローバルな継続的取り組みでNPTが果たす中心的役割を再確認するとともに、事実上、条約のあらゆる主要側面に関する合意の文言を反映するものとなりました。また、再検討会議は最終文書で、1998年のインドとパキスタンによる核実験実施を遺憾とした上で、条約の新規締約国はその核開発能力に関係なく、非核兵器国としてのみ受け入れることも再確認しました。
最も重要かつ微妙な成果は、条約第6条履行に向けた組織的かつ段階的取り組みに関し、一連の実際的なステップを最終文書に盛り込んだことでした。こうしたステップは、各締約国による今後の進展を測定できるベンチマークを提供するものとなっています。中でも多く注目されているのは、核兵器国がはじめて、核軍縮への一歩として、核兵器備蓄の全面的廃絶をはっきりと約束することに合意した点です。
2005年再検討会議で加盟国は、幅広い問題について有意義な議論を繰り広げることができましたが、具体的な成果に関する合意には至りませんでした。この結果をもたらした重要な争点としては、軍縮と不拡散のどちらかを優先すべきか、および、1995年と2000年の会議で達成されたものを含め、過去の決定や合意をどのように位置づけるか、という問題があげられます。
2010年再検討会議に向けて
2006年12月6日の総会決議61/70に基づき設置された2010年NPT会議準備委員会は、2007年4月から2009年5月にかけ、3回の会期を開催しました。これまでの再検討サイクルと同様、準備委員会は大部分の会合を再検討会議の具体的な準備に当て、条約の全面履行とその普遍性を推進するための原則、目標および方途を検討しました。準備委員会はこの関連で、2000年の会議を含む過去の再検討会議での成果、1995年に採択された決定と中東関連決議、および、条約の運用と目的に影響する動向を考慮に入れることで、条約の目的を達成するためのアプローチと措置を検討し、条約の全面的遵守の必要性を再確認しました。
準備委員会は暫定議題を含め、2010年再検討会議に関する組織的、手続き的取り決めのほとんどすべてに合意しました。また、手続き規則案、議長その他役員の選出、日時と場所、資金調達、事務局長の任命、背景文書、および、会議で設置される3つの主要委員会の委員長についても合意が成立しました。この合意により、第1主要委員会の委員長は非同盟その他諸国グループの代表、すなわち第3回準備委員会議長(ジンバブエ)が、第2主要委員会の議長は東欧諸国グループの代表、すなわち第2回準備委員会議長(ウクライナ)が、そして第3主要委員会の議長は西側グループの代表、すなわち第1回準備委員会議長(日本)がそれぞれ務めることとなりました。準備委員会は、再検討会議最終文書の検討を延期することも決定しました。
2000年に成立した合意によれば、準備委員会は再検討会議に対する勧告を含む合意報告書の作成に向け、全力を尽くすことを期待されていました。この目的を達成するため、数回の会合が開かれたにもかかわらず、見解の相違は解消せず、委員会は検討中の具体的課題について合意できませんでした。
再検討会議では、条約の普遍性、特定の具体的措置を含む核軍縮、保障措置の推進と強化を含む核不拡散、原子力の平和的利用と安全性、安全保障を前進させるための措置、地域的軍縮と不拡散、1995年の中東関連決議の履行、条約脱退に対処するための措置、再検討プロセスをさらに強化するための措置、および、NPTの規範強化と軍縮教育の促進に向けた市民社会との連携推進など、2005年の会議で議論されたものを含め、数多くの問題が取り上げられる予定です。