ガザでの戦争は UNRWA のパレスチナ人への支援能力にどのような影響を与えたか?(UN News 記事・日本語訳)
2024年11月26日
2024年11月6日 — パレスチナ難民のための機関である国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、パレスチナ被占領地に住む人々に緊急支援を届けるだけではなく、極めて重要な幅広いサービスを提供しています。ガザでは、1年にわたる戦争により、UNRWAのこうした支援能力が著しく脅かされています。
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緊急支援:被った大きな打撃
戦争前
- 100万人を超えるパレスチナ難民が、最も基本的な食料需要が満たされない絶対的貧困の中で生活しているとみられていました。
- ガザに住む人々は、イスラエルが15年にわたって陸海空を封鎖下する中での生活に苦労していました。
- こうした状況を緩和すべく、UNRWAは食料・医療の支援や現金給付による支援を提供してきました。
開戦後
- あらゆる種類の支援を提供するUNRWAの能力が大きな打撃を受けました。これは利用可能な支援物資が不足しているためではなく、イスラエル当局によるアクセス制限によってUNRWAが物資を届けることができないためです。
- UNRWAのフィリップ・ラザリーニ事務局長は今年10月にはガザに毎日約30台の人道支援トラックが入っていることを発表しましたが、これは戦争前に搬入を許可されていた商用および人道支援物資の量のわずか6%にすぎません。
- 国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、人口の半数近くが、1日に1人あたりが飲料、調理、衛生に必要とする水の最低量である15リットルの水を入手できていません。
医療:風前の灯火
戦争前:
- UNRWAは60年以上にわたり、パレスチナ難民に包括的な初期診療を提供してきました。
- ガザには22の医療センターがあり、診療所や研究施設が備えられ、個人別の妊産婦ヘルスケア、家族計画サービスが提供されていました。
- 子どもたちが不安や苦痛、抑うつに対処するのを支援するため、ガザの複数の学校や多くの医療センター内にある特別教育支援クリニックに心理社会的カウンセラーが配置されていました。
開戦後:
- 昨年10月7日以降、病院は複数回イスラエル軍の標的となってきました。ここ最近では、ガザ北部のカマル・アドワン病院は、国連児童基金(UNICEF)の高官であるアデル・ホドル氏の言葉を借りれば、「包囲された戦場」と化しています。11月5日、ホドル氏はこのように述べています。「集中治療が必要な脆弱な新生児や負傷したり病気にかかっていたりする子どもたちが、テントや保育器、そして両親の腕の中で殺されているのです。これほどの状況でも戦争を終わらせるに十分な政治的意思が結集されないことは、私たちの人間性の根本的な危機を表しています」
- UNRWAは、諸機関が連携して行っているポリオワクチンの集団予防接種において重要な役割を担っており、第1回接種ではガザ地区全域で約56万人、第2回接種では約54万5,000人の子どもたちに予防接種を実施しました。
- しかし依然として、何千人もの子どもたちが接種を受けられておらず、イスラエルによる絶え間ない避難命令と爆撃が、深刻な遅滞や障害をもたらしています。
- それでもUNRWAは、その医療センターのうち8つを稼働し続けられており、極めて危険な状況で稼働しなければならないにもかかわらず(医療従事者、患者、病院、その他医療インフラに対する攻撃は500回を超える)、UNRWAの医療チームは昨年、約620万件のプライマリー・ヘルスケアの診察を行うことができました。これは一昨年の約260万件から増加しています。
教育:失われた1年
戦争前:
- ガザ地区におけるUNRWAの教育プログラムは、同機関が展開するプログラムの中でも最大規模であり、地区内の183の教育施設で284校を運営し、1万500人を超える教育関係者が登録している約30万人の生徒に教育を提供していました。
- UNRWAはカリキュラムや教科書を変更する権限は持たないものの(これらは国家主権に属する事項である)、運営する学校で教えられる内容が国連の価値観や原則に沿ったものになるよう尽力しています。
開戦後:
- UNRWAでは、ガザ地区には子どもたちが安全に学べる場所はないと捉えていますが、危険の中でも教育機会を提供することに尽力し続けています。8月には、レクリエーションや学習活動を含めた基礎的な支援を行う「学習スペース」を提供するプログラムを開始しました。60%の女児を含む約9,500人の子どもたちが、ガザ全域で36カ所の専用の避難所でこうした取り組みの恩恵を受けています。
- 戦争中、UNRWAが運営する学校の85%近くが攻撃または損害を受けており、中には複数回受けた学校もあります。いくつかの学校は全壊し、深刻な損害を受けたところも多くあります。攻撃を受けた際、大半の学校は、多くの子どもたちを含む避難民向けの避難所として使われていました。
- その結果、ガザの子どもたちは、2023年から2024年にかけての学校年度の38週のうち、6週分しか履修することができませんでした。実質的に1年分の教育を奪われたことになります。
経済発展:「1955年の水準に逆戻り」
戦争前:
- UNRWAは数年にわたり、起業家を支援し、女性の労働参加を手助けし、障害者をエンパワーメントすることで経済発展を後押しするプログラムを展開してきました。
- UNRWAのマイクロファイナンス部門は、貧しいあるいは社会から取り残された人々が持続的に収入を得る方法を構築する能力強化を支援しており、他の融資を受けることができない人々の信用枠を拡大させています。
- 2020年、UNRWAは失業問題に対処し、パレスチナ難民がデジタル部門の就業機会にアクセスし、キャリアをスタートさせるのを支援するITサービスセンターを設立しました。
開戦後:
- ガザでの戦争により、こうした取り組みやその他の取り組みも深刻な影響を受けました。10月下旬に発表された国連の報告書によると、ガザ地区とヨルダン川西岸地区の経済発展は約70年分後退し、1955年6月と同水準となりました。
- 「私たちが行った評価は、何百万もの人々の生活が破壊され、何十年もの開発努力が水泡に帰しつつあることに対し、警鐘を鳴らすものです」国連西アジア経済社会委員会(ESCWA)のローラ・ダシュティ事務局長は、このように説明しています。
難民キャンプ:攻撃の対象に
戦争前:
- パレスチナ難民の生活環境を改善すべく設計されたUNRWAのプログラムが長きにわたり存在し、数百戸にのぼる住宅建設や、下水・排水設備の開発をもたらしてきました。
開戦後:
- 過去1年間にわたる軍事作戦、戦闘、激化する暴力によって、ガザ地区の全建物の約66%が損傷を受けるか破壊され、人口密度の高い難民キャンプが壊滅的な打撃を受けました。国連の統計によると、計22万7,591戸の住宅が被害を受けました。
- 例えばジャバリア難民キャンプは、これまでに複数回空爆を受けています。今年6月、UNRWAはキャンプでの「恐ろしい」惨状を報告し、11月には、数百人が避難していた2棟の住宅が空爆で全壊し、50人以上の子どもたちが犠牲になったと報じられました。
- 下水および廃棄物処理システムは限界に達しています。11月5日、ガザ市を訪問中のパレスチナ被占領地域の国連常駐調整官のムハンマド・ハディ氏は、トイレを利用できない数百人の人々や、ごみや下水汚物で覆われた通りを目の当たりにしたことを語りました。
UNRWAとは?
- 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、1950年以来、「1946年6月1日から1948年5月15日までの間の通常の居住地がパレスチナにあり、1948年の戦争の結果として家と生計手段の両方を失った人」と定義されるパレスチナ難民の人々の福祉と人間開発に貢献してきました。
- UNRWAは、ヨルダン、レバノン、シリア、ガザ地区、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区で活動しています。国連総会決議によって設立されており、その資金のほぼすべてが国連加盟国からの任意拠出金で賄われています。
- UNRWAは長い間、職員や業務に関するものを含め、誤情報や偽情報に直面してきました。10月7日にガザ地区で戦争が始まって以降、それは激しさを増しています。
- その一例としては、世界各地の危険に見舞われた地域で人道支援を提供している国連機関の方が、現在UNRWAが実施している業務を担うのに適しているという主張です。
- 実際のところ、UNRWAの確立されたインフラ(UNRWAは、学校、保健センター、社会的保護といった極めて重要な公共に近いサービスを、その大半がパレスチナ難民である3万人の職員の働きによって直接展開している)と費用対効果は、国連の他の機関には相当するものがありません。
- 約1万3,000人のUNRWA職員がいるガザでは200万を超える人々が救命のための人道支援を切実に必要としており、現在必要とされているこの規模のニーズに対応できる機関は他には存在しません。他の国連機関や国際的な非政府組織(NGO)は、ガザにおけるUNRWAの代替できない役割を認識した上で、UNRWAへの支援を公表しています。
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原文(English)はこちらをご覧ください。