略歴
マーク・マロック・ブラウン氏を副事務総長に任命
プレスリリース 06/012-J 2006年03月10日
コフィー・アナン国連事務総長は2006年3月3日、マーク・マロック・ブラウン現官房長を副事務総長に任命すると発表しました。マロック・ブラウン氏は離職するルイーズ・フレシェット現副事務総長を引き継ぐ形で就任します。
マーク・マロック・ブラウン氏は2005年1月から事務総長官房長を務めています。在任中は国連活動のすべての面で、事務総長や副事務総長と密に接しながら職務を遂行してきました。中でも、同氏が策定に加わった意欲的な国連改革に関する課題は、昨年9月にニューヨークで開催された世界サミットで、世界の指導者から大枠の承認を得ています。
マロック・ブラウン氏は官房長就任に先立ち、1999年7月から2005年8月まで、国連開発計画(UNDP)総裁として、国連のグローバル開発ネットワークの指揮にあたりました。この時期には、国連開発グループ(UNDG)の議長も兼任しました。UNDGは、開発問題に携わる国連のあらゆる基金、計画および部局からなる委員会です。
UNDPに在職中、マロック・ブラウン氏が統括した包括的改革への取り組みは、活動対象166カ国でUNDP事業の焦点を定め、その効率と実効性を高めたとして広く評価されています。年間予算額も倍増し、40億ドルを超えました。同氏は民主的統治などの分野で、開発途上国に対する国連の支援を拡充するため、大がかりな取り組みを行いました。この新たな権利擁護の側面は「アラブ人間開発報告(Arab Human Development Reports)」など、画期的な刊行物にも反映されています。また、自然災害や紛争終結を受けた支援活動でのUNDPのリーダーシップも強化されました。
マロック・ブラウン氏はアナン事務総長の要請を受け、ミレニアム開発目標(MDGs)達成に向けた支援の一翼を担う国連システムの取り組みも、先頭に立って指揮しました。MDGsは2000年9月、国連ミレニアム・サミットで世界の指導者が承認した8つの期限付き目標で、2015年までに極端な貧困を半減させることを全体的な最終目標としています。
UNDPに加わる以前の1996年から1999年にかけ、マーク・マロック・ブラウン氏は世界銀行で渉外・国連関係を担当する副総裁を務めました。同氏は1994年、渉外部長として世界銀行に入行。世界銀行がきめ細かい援助活動を強化し、国連やNGOとの連携も拡充する上で、大きな貢献を果たしたとの評価を得ています。1997年には、国連のコミュニケーションを改善するために設置された事務総長タスクフォースの議長にも登用されました。
世界銀行入行以前の1986年から1994年にかけ、マロック・ブラウン氏は戦略的通信管理会社Sawyer-Miller Groupの主任国際パートナーとして、法人や政府との取引を担当。フェルディナンド・マルコス氏と大統領選を争ったフィリピンのコラソン・アキノ氏をはじめ、特にラテンアメリカで、大統領候補や議員候補の顧問役を務めました。
マロック・ブラウン氏は、援助活動と開発政治経済に関する月刊誌The Economist Development Reportを創刊。1983年から1986年まで同誌の編集長を務めました。これに先立つ1977年から1979年にかけては、The Economist誌の政治記者として活躍しています。
1979年から1983年にかけては、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務。1979年から1981年まではタイ駐在員を務め、カンボジア難民の現地支援活動に携わりました。また、ジュネーブにあるUNHCR緊急ユニットの次席にも任命され、「アフリカの角」地域や中部アメリカで幅広い活動を展開しました。1981年には、UNHCRとそのスタッフがノーベル平和賞を受賞しています。それ以前も、同氏は人権と難民問題に携わり、ワシントンDCでRefugees Internationalの副理事長を務めたほか、数多くの非営利組織の諮問機関にも加わっていました。マロック・ブラウン氏は2005年、Time誌が選んだ世界で最も影響力がある100人の中に名を連ねています。
マロック・ブラウン氏は英国出身。ケンブリッジ大学マグダレン・カレッジから歴史学最高優等学位を、ミシガン大学から政治学修士号をそれぞれ取得したほか、名誉学位や報賞も多く受けています。52歳、既婚で子ども4人。