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略歴
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)
カレン・K・アブザイド事務局長

プレスリリース 06/003-J 2006年01月12日

カレン・K・アブザイド氏は2005年6月28日に国連事務総長により、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の事務局長に任命されました。アブザイド氏はUNRWAにおいて2000年8月より事務局次長、2005年4月1日より臨時代理事務局長を務めてきました。

アブザイド氏はガザを拠点に、410万人のパレスチナ難民を対象とした教育、保健、社会サービスと小規模事業プログラムを監督しています。2000年9月からは、西岸地区およびガザ地区の被害者のための緊急支援提供と雇用創出が活動の中心となっています。

アブザイド氏はUNRWAに加わる以前、19年間にわたり国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)に勤務していました。1981年、にスーダンにおいて、戦禍や飢饉から逃れてきたウガンダやチャド、エチオピアの難民支援に携わったことから彼女の人道的活動は始まりました。1989年にはナミビアに渡り、アパルトヘイト時代に流出した難民帰還の調整に携わりました。この帰還計画の成功はナミビアを選挙と独立に導きました。1年後にリベリアで内戦が勃発し、アブザイド氏はシエラレオネのUNHCRフリータウン事務所代表として、10万人のリベリア人をリベリア-シエラレオネ国境沿いの600の村に居住させるという新たな緊急対策を打ち出しました。

1991年から93年にはUNHCRのジュネーブ本部において、南アフリカ難民帰還作戦とケニア-ソマリ間の越境計画を指揮したあと、ボスニア紛争勃発に伴い、サラエボにて2年間指揮を取りました。UNHCRの空輸・護送活動は400万人の国内避難民と戦災者の命を助け、その存在によって数千人が民俗浄化から救われました。UNHCRでの最後の4年間は緒方貞子高等弁務官(当時)の官房長を務めるかたわら、米国・カリブ諸国地域代表として難民資格申請者のための資金集め、広報活動、法的支援を中心とした任務をこなしました。

アブザイド氏はインディアナ州のデポウ大学より理学士号を取得、カナダのマッギル大学よりイスラム研究修士号を取得。ウガンダのカンパラにあるマケレレ大学とスーダン南部のジュバ大学で、政治学とイスラム研究の教鞭を取りました。スーダン人の教授である夫との間に子どもが2人。


UNRWAはガザとアンマンを本部とし、ヨルダン、レバノン、シリア、西岸およびガザ地区に居住するパレスチナ難民に対して教育、保健、救済、社会サービスを提供しています。約2万5千人のUNRWA職員のほとんどは現地で採用された教師や医療従事者で、スタッフ数は国連システムの中で最多。2005年の通常予算は3億3千9百万ドルです。