略歴
コフィー・アナン国連事務総長
カレン・アブザイド氏(米国)をUNRWA事務局長に任命
プレスリリース 05/062-J 2005年07月14日
コフィー・アナン国連事務総長は、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)諮問委員会メンバーと協議の末、UNRWA事務局次長のカレン・アブザイド氏(米国)を同機関の事務局長に任命しました。米国籍のアブザイド氏は、ピーター・ハンセン氏(デンマーク)の後任となります。
アブザイド氏は2000年8月、UNRWA事務局次長に起用されました。2005年4月1日には、臨時代理事務局長にも就任。ガザを本拠地としながら、パレスチナ難民410万人を対象とする教育、保健、社会サービスと零細企業プログラムの監督を補佐しました。2000年9月からは、現在も西岸地区とガザで続く危機の犠牲者を対象とし、緊急援助提供と雇用創出を中心とした活動を続けています。
UNRWAに加わる以前、アブザイド氏は19年間にわたり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務していました。人道援助活動に初めてかかわったのは1981年のこと。スーダンで、母国での戦火と飢饉(ききん)を逃れたウガンダ、チャド、エチオピア難民の援助に当たりました。1989年には、スーダンからナミビアに転勤。アパルトヘイト(人種隔離)時代に流入した難民の帰還調整に当たりましたが、この帰還作業は成功し、ナミビアの選挙と独立につながりました。その1年後、リベリアで内戦が発生すると、アブザイド氏はシエラレオネに移動。フリータウンのUNHCR事務所長として、リベリア人10万人をリベリア・シエラレオネ国境の村600カ所に定住させるという、新たな緊急対策に取り組みました。
1991年から1993年にかけ、アブザイド氏はジュネーブのUNHCR本部で、南アフリカでの帰還作業とケニア・ソマリア間の難民援助を指揮。ボスニア戦争中には一時ジュネーブを離れ、サラエボで2年間ミッションを率いていました。UNHCRによる空輸・護送活動により、国内避難民と戦災者400万人が一命を取り留めたほか、UNHCRのプレゼンスにより、さらに数千人が民族浄化を逃れました。UNHCRでの最後の4年間、アブザイド氏は緒方貞子高等弁務官の官房長を務めたほか、米国・カリブ海担当地域代表も兼任し、資金調達、広報、難民資格申請者の法的問題を中心とした活動を行いました。
アブザイド氏はUNHCRに加わる以前、ウガンダのカンパラにあるマケレレ大学とスーダン南部のジュバ大学で、政治学とイスラム研究の講座を担当。インディアナ州のデポウ大学で理学士号を、カナダのマッギル大学でイスラム研究修士号をそれぞれ取得しています。
既婚。スーダン人教授である夫との間に子が2人。