第8代国連事務総長 潘基文(パン・ギムン)氏の略歴
プレスリリース 13-022-J 2013年05月27日
第8代国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)氏は、気候変動や経済の混乱から感染症のまん延、さらにはますます増える食料、エネルギー、水に関連した苦難に至るまで、一連の新たなグローバル課題の克服に向け、世界のリーダーたちの結束を図ることを優先課題としています。事務総長は橋渡し役を務め、世界で最も貧しく、弱い立場にある人々に発言権を与え、さらには国連という組織そのものを強化する取り組みを行ってきました。
事務総長は次のように語っています。「私は戦争の中で育ちました。そして、国連が母国の復興と再建を助ける姿を目の当たりにしました。この経験は、私が公務員としてのキャリアを目指す大きな要因となりました。私は事務総長として、国連が平和、開発、そして人権を前進させる具体的かつ有意義な成果をもたらすことができるよう努力する決意です」
潘氏は2007年1月1日、事務総長に就任しました。2011年6月21日に国連総会にて満場一致で再選され、現在、2016年12月31日までを任期とする2期目を務めています。就任以降の主な取り組みは、下記のとおりです。
持続可能な開発の促進
事務総長に就任当初の主な取り組みとしては、2007年の気候変動サミットと、これに続く幅広い外交努力で、気候変動問題をグローバルな課題として前面に押し出したことがあげられます。その後、世界的に重要な貧困対策目標「ミレニアム開発目標(MDGs)」への注力により、アフリカ問題や、新たに発足した「女性と子どもの健康の実現に向けたグローバル戦略」を中心に、600億ドルを超える拠出が誓約されました。食料、エネルギー、経済の危機が頂点に達した2008年、事務総長はG20に対し、開発途上国向けに1兆ドルの金融支援策を要請し、その了承を得るなど、国際的な対応を指導し、弱者、貧困層を保護するための策を講じました。
女性のエンパワーメント
事務総長は、女性に関連する国連の活動を一本化する重要な機関として、新たにUN Womenの創設を推し進め、これを実現しました。女性の権利とジェンダーの平等を求める事務総長の具体的活動としては「団結しよう、女性への暴力を終わらせるために」キャンペーンや、紛争下の性暴力禁止に関する「Stop Rape Now」イニシアティブ、 男性指導者ネットワーク(Network of Men Leaders)の創設、 紛争下の性暴力に関する特別代表のポスト新設などがあげられます。事務総長は国連の内部でも、上級管理職の女性を40%以上増やし、国連史上最多の数に引き上げました。
危機や情勢不安に直面する国々への支援
事務総長は平和維持活動に関する「ニュー・ホライズン(New Horizons)」イニシアティブやグローバル・フィールド支援戦略、文民能力レビュー(Civilian Capacity Review)など、世界各地の紛争地帯に展開する12万人規模の国連「ブルー・ヘルメット」要員の影響力を高める一連の措置を通じ、国連平和活動の強化を図ってきました。事務総長の新たな調停権限行使能力に伴い、緊張状態や紛争、危機の予防、管理、解決を助けるため、新たな調停支援班も設けられました。人権侵害に関する責任追及は、ガザ、ギニア、パキスタン、スリランカに関する調査や、レバノンとカンボジアでの法的手続き、さらには、ジェノサイドをはじめとする重大犯罪の防止と停止をねらいとする新たな国連規範「保護する責任(responsibility to protect)」を通じ、ハイレベルで注目を集めるようになりました。潘事務総長はまた、ミャンマー(2008年)、ハイチ(2010年)、パキスタン(2010年)で生じた大災害への人道的対応の強化を図るとともに、北アフリカや中東での民主化に対する国連の支援も動員しました。
軍縮、軍備管理、不拡散にも新たなはずみ
事務総長は、軍縮会議のこう着状態を打破する試みとして5項目行動計画を策定し、軍縮交渉の再活性化を図るとともに、日本の福島第一原子力発電所での事故を受け、原子力の安全性と核セキュリティーに改めて注意を喚起しました。
国連の強化
事務総長は国連の透明性、実効性、効率性を高めるため、新たな措置を導入しました。具体的には、資産公開要件の厳格化、上級管理職との協定、業務実践と勤務条件のすり合わせ、国際公会計基準の採用、情報技術と人材育成への投資継続などがあげられます。
学歴、職歴
潘基文事務総長は1944年6月13日、韓国に生まれました。1970年にはソウル大学で国際関係学士号を取得。1985年にはハーバード大学ケネディ行政大学院から行政学修士号を受けています。
潘氏は事務総長に選出された時、韓国の外交通商部長官を務めていました。潘氏の外交通商部での経歴は37年に及び、ニューデリーやワシントンDC、ウィーンへの赴任経験があるほか、青瓦台外交補佐官、大統領外交安保首席秘書官、政策立案担当次官、米州局長などの要職も歴任しています。
潘氏の国連とのつながりは深く、1975年にはすでに、外交通商部国連課に配属されていました。その後、活動の範囲はさらに広がり、包括的核実験禁止条約機関準備委員会の委員長として活躍したほか、韓国が国連総会の議長国となった2001年から2002年にかけては、総会議長の官房長を務めました。潘氏はまた、南北朝鮮関係に絡む問題にも積極的に関与しています。
潘事務総長は韓国語のほか、英語、フランス語にも堪能。高校時代の1962年に知り合った妻、柳(潘)淳沢氏との間に息子1人、娘2人、孫3人。潘夫人は2007年以来、自閉症、女性に対する暴力の根絶、HIV/エイズの母子感染防止キャンペーンなど、女性と子どもの健康に集中的に取り組んでいます。
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