グローバル化の試練
世界経済フォーラム年次総会に寄せる
アナン国連事務総長・寄稿
プレスリリース 02/010-J 2002年02月07日
なぜ今年の世界経済フォーラムへの出席に同意したのか、と私は多くの人々から尋ねられました。中には、この出席により、私が金持ちとグローバル・エリートの側につき、(これらの人々の目からすれば)グローバル化の犠牲となり、虐げられた大衆に背を向けたのだと考える向きもあります。
むしろ真実はその逆です。私はこのフォーラムを、これら虐げられた大衆の代理として、グローバル・エリートに語りかける機会と捉えました。特に、今日の世界で十分な食糧も、安全な水も、子供のための初等教育や健康管理もなしに、つまり、人間の尊厳にとって最も根本的に必要なものを持たずに暮らしている10億人を優に超える人々の声を、私が代弁するのです。
個人的に言えば、私はこれらの人々をグローバル化の犠牲者とは考えていません。彼らにとっての問題は、グローバル市場に組み込まれていることではなく、そこから排除されていることにあるほうが多いのです。
しかし、虐げられ、搾取され、疎外された人々のために具体的な成果をもたらす行動により、この考えが誤りであることを証明する責任は、グローバル・エリート、つまり、より恵まれた国々の財界と政界の指導者にあります。
企業がなかったなら、貧しい人々が貧困から抜け出す希望はないだろうという主張は、それ自体は真実ではあっても、十分な説得力を持ちません。現状のままでも全く希望の持てない人々があまりにも多いのですから。彼らに対しては、その生活を改善する具体的な実例により、経済学が適切に応用され、収益が賢明に投資されれば、社会的恩典は一握りの人々だけでなく多くの人々に、そして遂には万人へと及ぶものだということを示さなければなりません。
財界指導者の中には、これら問題の解決は政府の責任で、企業は収益のみを追求すべきだと考える人々が、依然としているようです。
しかし、そのほとんどの人々は、企業収益が最終的に、経済的・社会的条件および政治的安定に依存することを理解しています。また、政府が正しい行動を起こすのを待つ必要がないこと、そして実際に、その余裕がないことに気づく人々の数も増えています。多くの場合、政府は財界が主導権を握ってはじめて、正しいことをする勇気と資源を見出すことができるのです。
企業がほんの少額の投資で大きな変化をもたらせることもあります。世界の製塩業界の例をとってみましょう。国連との協力により、製塩業者は、人間の消費向けに製造される塩にすべてヨウ素を添加するようになりました。
この結果、毎年、9,000万人を超える新生児が、精神遅滞の主因の一つであるヨウ素欠乏症を免れているのです。
私達にはこのような例、つまり、企業がグローバルな科学技術を動員し、開発途上地域の発展を妨げている飢餓、病気、環境劣化および紛争という相互連関的な危機に取り組む例がもっと多く必要です。
このようなイニシアチブが成功を収めるためには、企業にとって通常、政府内に啓蒙されたパートナーがいることが必要です。しかし、それが現れるのをじっと待っている必要はありません。多くの国々では、財界指導者の声が、世論を動かすのに極めて大きな役割を演じ、政府の決定を左右しているからです。
事実、保護主義者やけちな人々の議論を退ける上で、財界指導者は最も恵まれた立場にいます。
豊かな国々の市場を貧しい国々からの労働集約的製品に開放し、貧じ国の農民が競争することを不可能にしている農産物輸出補助金を止めさせるために、最も説得力のある主張を行えるのも財界の人々です。
そして彼らは、大口の納税者として、開発途上国に対する債務救済と公的援助について、また、世界経済に影響する決定が話し合われているときに、これらの国々に発言の機会を与えることについても、最も説得力のある議論を展開できるのです。
今日の貧困国が成長し、繁栄するためには、これらすべてのことが不可欠です。もちろん、これらの国々は国内の体制を整えることにより、国内の資源を動員し、外国からの民間投資を誘致し、そこから利益を得られるようにしておく必要があります。しかし、開発途上国にはその製品を輸出する上で公平なチャンスが与えられなければなりません。また、これらの国々がビジネス・チャンスをつかめるようになるためには、インフラ整備と能力建設のための資金的・技術的援助も必要です。扉が開いていても、脚力がなければそこを通ることはできないのです。
来月のモンテレー開発金融会議は、政財界の指導者たちにとって、これらの問題に真摯に取り組むことにより、グローバル化が貧しい人々に対し、貧困から脱出する真のチャンスを与えられるようにするという意志を示すチャンスです。
彼らは連帯、尊重、そして何よりも希望という明確なメッセージを打ち出すことにより、妬み、絶望、そして恐怖という勢力に決定的な打撃を与えることができるのです。
筆者は国連事務総長である。