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第55回 国連総会開幕日の
「文明間の対話に関する会合」に寄せる
コフィー・アナン事務総長演説

プレスリリース 00/97 2000年09月06日

ニューヨーク、2000年9月5日

 私はまず、国連と全世界で「文明間の対話」の実現にむけてすばらしい指導力を発揮されてきたハタミ大統領閣下に敬意を表したいと思います。大統領、これほど多くの国の元首・首脳がきょう、ここに一堂に会していることは、閣下の人間的で寛容なグローバル社会のビジョンに対する賛辞の表れといえましょう。

 私はまた、きょうの特別行事の開催にあたり中心的役割を果たしてこられた松浦晃一郎事務局長をはじめとするユネスコ職員の方々にも、謝意を表したいと思います。ミレニアム・サミットの開会を明日9月6日に控え、このような重要な会議に参加できたことは、私にとって名誉であり、かつ、喜びでもあります。事実、サミットの道徳的・精神的基盤として「文明間の対話」を話し合うこの会合以上のものは、考えられないでしょう。国連自体も、対話は不和を克服し、多様性は普遍的な美徳であり、世界の諸民族はその異なるアイデンティティーで分裂するよりも、はるかにその共通の運命によって結び付けられているのだという信念の下に創設されたものだからです。

 国連は、まさに文明間の対話の場となることができます。そこでは、対話が花開き、人間の試みがあらゆる分野で開花することでしょう。2001年が「国連文明間の対話年」と宣言されたことを私が暖かく歓迎した理由はここにあります。すべての国家間で、すなわち各々の文明、文化および集団の中で、ならびに、それらの間で、日常的な対話がなされなければ、いかなる平和も続くことができず、いかなる繁栄も確保されません。これは国連が最初の半世紀で学んだ教訓です。私たちがこれを無視することはできません。

 私たちはまた、この歴史から、諸文化の無限な多様性と並んで、人類の思想と信条が溶け合い、平和かつ生産的に発展する、たった一つのグローバル文明が存在することを学ぶべきです。それは、次のことによって定義される文化でなくてはなりません。すなわち、意見の相違に対する寛容、文化的多様性の賛美、基本的かつ普遍的人権の堅持、および、各地の人々が自らの統治方法について発言する権利に対する信念です。それはまた、新世紀を迎えるにあたり、私たちが擁護し促進しなければならない文明なのです。

 国連事務局といたしましても「文明間の対話」を推進しており、その具体的な努力は、私の個人特使であるジャンドメニコ・ピコ氏が主導しています。同氏は、その責任の一つとして、来夏、私に提出される予定の報告書に盛り込まれる問題の枠組みを作るため、賢人会議を招集しました。私はこの報告書を、対話に対する私たちの貢献として、総会に提出するつもりです。このような対話は、お互いのつながりが高まる世界の中で、私達は多様性を資産として活用しなければならないという認識から始まることになりましょう。事実、戦火の火種はまさに、多様性を脅威として認識することにあるのです。多様性は文明間の対話にとっての基礎であるばかりでなく、対話を必要にさせる現実でもあります。

 私は、この報告書、および、人類にとって大変重要なこの対話を進展させようとする私たちに共通の努力に対し、今回の会合が大きく貢献するものと確信しています。それは間違いなく、南アフリカで来年、開催予定の「人種主義、人種差別、排外主義および関連の不寛容に反対する世界会議」に指針と着想を提供するものともなりましょう。

 私は、皆様全員が、この極めて重要な問題について貴重な貢献を行ってくださることと理解しております。つきましては、以下の考えをもって発言を締めくくりたいと思います。私たちはきょう、この問題に関する実質的で実りある意見交換を行うことにより、真の文明間の対話がもつ価値を立証できるものと期待します。