アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所での事務総長挨拶
プレスリリース 13-084-J 2013年11月21日
(オシフィエンチム、ポーランド 2013年11月18日)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のピオトル・グウィンスキ館長、
ホロコーストの生存者でもある国際アウシュヴィッツ委員会のマリオン・トゥルスキ副委員長、私はあなたの勇気と忍耐力に深い敬意を表します。あなたは、私たちがどのようにして、将来の世代にこの恐ろしい過去の教訓を学ばせるべきか、身をもって示しているからです。
また、ここにはいらっしゃいませんが、きょう私に会うためにイスラエルから駆けつけていただいたテルアビブのイスラエル・メイール・ラウ主席ラビにも、この場を借りて、お礼を述べたいと思います。残念ながらスケジュールの都合で、先に席をお立ちになりました。
親愛なる若い学生の方々、皆様、
私は本当に圧倒され、恐れ多い気持ちで一杯です。どのような言葉も、私の気持ちをうまく伝えることはできません。どうすれば国や個人が、これだけ残忍に、人道に対する組織的な蛮行を働くことができるのでしょうか。
皆様、
私はまず、ポーランドの政府と国民の方々、そして、私のアウシュヴィッツ訪問の実現に尽力していただいたすべての人々に感謝します。私は、若者が信仰の橋渡しとなり、理解を深める感動的な作業に携わっていることを歓迎します。
私は何年も前から、ナチス強制収容所の様子をとらえた画像を見てきました。多くの生存者から心が痛む話もお聞きしました。私はこちらに来る前に、[ホロコースト]生存者の[アーサー・]シュナイアー師、そしてノーベル平和賞受賞者でもある国連ピース・メッセンジャーのエリ・ヴィーゼル氏ともお話をしました。また、これまでに2回、イスラエルのヤド・ヴァシェムを訪れたほか、ワシントンDCのホロコースト記念館にも足を運びました。
しかし、どのような場所も、人類史上他に例を見ない組織的な殺人が残虐を極めた、この悪の中心地とは比べものになりません。
私は積み上げられたメガネや髪の毛、靴、タリート(祈祷用ショール)、人形を見つめながら、それぞれの所有者だったユダヤ人や、その他の人々の姿を思い浮かべようとしています。
私は、ガス室や遺体焼却炉を目にし、信じられない気持ちで一杯になるとともに、この死の工場を設計した人間の残虐さに身震いしています。
アウシュヴィッツの生存者で国連ピース・メッセンジャーのエリ・ヴィーゼル氏は、ここで燃え盛る火を目の当たりにして、「文明世界がこんなことを許すはずがない」と思ったことを書き記しています。
しかし、100万人の子どもを含む罪のないユダヤ人600万人が実際に虐待を受け、処刑されました。数十年が経過した今も、このジェノサイド(大量虐殺)という罪の性質と規模を現実として受け止めることが、ほとんど不可能なことに変わりはありません。
ユダヤ人のほか、ポーランド人、シンティ人、ロマ人、ソ連の捕虜、身体・精神障害者、反体制派、同性愛者を含む数百万人が、同じように残酷な状況の中で皆殺しにされました。
それ以来、カンボジアの戦場からスレブレニツァの森、さらにはルワンダの丘陵に至るまで、他の各地でも憎悪と迫害の炎が再び燃え上がり、社会は破壊されました。
今でも、その火はくすぶり続けています。反ユダヤ主義は、あまりにも多くの場所に根を下ろしています。ヨーロッパをはじめとする各地では、移住者、イスラム教徒、ロマ人その他の少数者に対する差別が高まる一方で、これを擁護する人々はあまりにも少なくなっています。
世界はホロコーストを忘れても、否定しても、軽視してもなりません。私たちは決して警戒を解いてはなりません。そして、平等と基本的自由の推進のために、さらに多くの、はるかに多くのことをしなければならないのです。
国連は毎日、全世界で、このような闇への転落が二度と起きないようにするという最重要任務の遂行に努めています。
毎年1月27日のホロコースト想起イベントは、ソ連軍によるアウシュヴィッツの解放を記念して設けられたものです。
私たちの「ホロコーストと国連アウトリーチ・プログラム」は、ヤド・ヴァシェムや全世界の教員との協力により進められています。
私たちは、この言語に絶する犯罪が決して繰り返されることがないよう、これに光を当て続けていきます。
私たちは永遠に、生存者との連帯を保つとともに、その遺産が決して死に絶えることがないよう、生存者の証言を伝えていきます。
生存体験記を著したプリーモ・レーヴィは、読者に対し、その言葉を「心に刻み、子どもたちに繰り返し伝える」よう促しました。私たちはその呼びかけに応えていきます。
全世界の数百万の人々にとって、ここで命を落とした家族を悼むための墓はありません。こうした人々にとって、アウシュヴィッツには博物館や記念館を超える意味があります。それは墓石のない墓地、つまり終わりのない無名の墓なのです。
アウシュヴィッツ・ビルケナウは単なる残虐行為の登録簿ではありません。それは勇気と希望の宝庫でもあります。私はきょう、声を大にして「二度と繰り返さない」ことを誓います。
この執拗な静けさの中で、私たちには人の生命の名残が見えます。歴史と人類の叫びが聞こえます。このことを考える時、あらゆる命はかけがえのないものであることが以前にも増して明らかになります。どうなってもよい人などいないのです。
すべての犠牲者のために、私たちは決して忘れないことを確認しようではありませんか。
そして、私たちの共有の未来のために、人類の一員として、すべての人が平和、正義、平等、人間としての尊厳を手にできる世界を作るという共通の責務を受け入れようではありませんか。
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