広島平和記念式典(8月6日)に寄せる
潘基文国連事務総長メッセージ
プレスリリース 07/055-J 2007年08月06日
セルジオ・デ・ケイロス・ドアルテ軍縮担当上級代表が代読
広島市民の方々はきょう、この歴史的なユネスコ世界遺産の地にお集まりになり、1945年8月6日の原爆投下で亡くなられた方々のご冥福を祈られます。
世界中の人々はこの厳粛な式典を、単に「被爆者」の方々に敬意を払い、死者を追悼するための機会としてではなく、核兵器のない世界の実現に向けた今後の道のりを改めて実感する機会として捉えています。
核拡散は世界が直面する最も差し迫った課題のひとつです。数万発の核兵器が今も残り、しかもその多くが「一触即発」の警戒態勢にあるからです。核の闇市場が生まれ、テロリストが核兵器や核物質を手に入れようとする中で、核の脅威はさらに高まってきています。
国連創設者と同様、今日の私たちの課題は、子孫のためにより安全な世界を築くことです。そのためには、核の危険のない世界、そして最終的には核兵器のない世界を目指し、今後も努力を続けることが必要です。
私は、広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長に、特に敬意を表したいと思います。前任者の方々に続き、両市長が進められている「平和市長会議」の取り組みは、今年で25年目を迎えました。このパートナーシップには現在、世界120カ国の1,600人を超える市長から支持が寄せられています。平和市長会議は、1945年の原爆投下による壊滅的な影響を世界中の何百万の人々に知らせることに貢献してきただけではありません。今後このような兵器が用いられた場合に都市が直面することになる危険に対する注意を呼び起こし、世界中のすべての都市生活者に軍縮で得られる恩恵を気付かせてもきたのです。
私たちの目標実現に向けた責任の多くは、若い人々が担うことになります。2歳の時に広島で被爆し、10年後に「原爆病」で命を失った佐々木禎子さんの記憶は、若い人々をこれからも鼓舞し続けるものと私は確信しています。禎子さんの命は、禎子さん自身が折った何千羽という折り鶴の中に生き続けています。そして、ここ広島平和記念公園に建てられた「原爆の子の像」の下に刻まれた、次の言葉の中に生き続けています。「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
それは私の祈りでもあります。この厳粛な式典で追悼の言葉を述べられますことを、私は光栄に感じています。そして今後、すべての人々にとってより安全で平和な世界に向けた前進が少しでも見られることを期待してやみません。私たちは、核拡散という大きな波を押し返し、禎子さんのような経験が二度と繰り返されることのないよう、全力を尽くさなければなりません。全人類の命にかかわるこの取り組みに、広島市民、長崎市民の方々は今後も、きっと大きな役割を果たされることでしょう。