東京大学におけるコフィー・アナン国連事務総長講演
2006年05月18日
東京、2006年5月18日
きょうは皆様とお会いでき、大変うれしく思います。このような名高い大学から名誉博士号をお受けできることを光栄に存じます。この称号を授与されるのは、私でわずか3人目とお聞きしました。私の親友であり、開発問題の顧問でもあるアマルティア・セン教授と肩を並べる評価をいただいたということになります。また、私だけでなく、私が一員として誇りとし、日本がかけがえのない役割を果たしている国際連合に対しても、大きな名誉を授かりましたことを深く感謝いたします。また、〔小宮山〕総長、ファン・ヒンケル国連大学学長に対して、私のパートナーである妻を評価していただいたことにも感謝いたします。実際、私の妻は今回の旅行中ずっと強力な支援者であり続けています。
私は今年国連加盟50周年を迎える日本を訪問でき、とても幸せに思います。この50年間に日本が歩んだ道のりは、まさに驚異的でした。第2次世界大戦に敗れた日本は壊滅的な打撃を受け、占領の憂き目にも遭いました。今日、大きな変容を遂げた日本は、全世界の多くの国々から羨望のまなざしで見られているのです。
日本は、単に世界的な経済大国であるだけでなく、多国間主義、民主主義、そして紛争の平和的解決を追求し続けています。人道援助や国連平和維持活動の忠実なサポーターでもあります。「京都」という地名は、炭素排出を抑え、気候変動を緩和するためのグローバル協定と同義語になりました。そして「兵庫」という地名は、自然災害に対処するため、世界的に合意された行動枠組みを飾る枕詞となったのです。日本は自らの悲劇的経験を生かし、この取り組みに大きく貢献しています。
日本はアフリカにとって大切な開発パートナーにもなりました。小泉首相はつい先日、エチオピアと私の母国ガーナを訪問されました。紛争やHIV/エイズなど、アフリカが抱える深刻な課題を改めて実感されただけでなく、普通のアフリカの人々がどれだけ自立を望んでいるかを、きっと目の当たりにされたことでしょう。アフリカ開発会議(TICAD)プロセスの進展に向けた首相の決意、そして、首相が昨年表明されました今後3年間の対アフリカODA倍増計画はまさに、アフリカの人々の自立を助け、ミレニアム開発目標の達成を促すものに他なりません。
同時に、日本の取り組みは世界的規模に及んでいます。今この時でさえ、アフガニスタンの各地で国家復興支援に努めている日本人の方々がいらっしゃるのです。その他、東ティモールなどでも、日本は人道援助から治安セクター改革に至るまで、幅広い取り組みを行っています。
また、日本が特に目立った取り組みを展開している分野がひとつあります。それは武器の統制です。その現れとして、日本は紛争終結後の国々や地域において、戦略的ガイダンスから研修資金の提供、外交面での調整に至るまで、動員解除、武装解除、除隊兵士の社会復帰プロセスへの一貫した積極的支援を続けています。
日本は地雷禁止条約の締約国であるほか、小型武器の不正取引を取り締まる措置も講じています。日本は毎年、軍縮問題に関して、総会決議案を提出していますが、これは国際社会から力強い支持を得ています。また、国連の通常兵器移転登録制度の確立にも主導的な役割を果たしました。
この問題がなぜこれほどの反響を呼ぶのかは、理解に難くありません。日本は大量破壊兵器の恐ろしさを体験した唯一の国だからです。昨年、日本は広島と長崎の原爆投下60周年を迎えましたが、この記念行事には世界中の人々が加わりました。1945年以来、核兵器をはじめとする大量破壊兵器への反感は、日本の国民性のひとつに数えられてきました。
核兵器を作らない、持たないという基準を自らに課しながら、日本が国家としての成功を収めたことは、世界中に力強いメッセージを送りました。「普通の」国であるために核兵器は要りません。また、影響力を行使するために完全武装する必要もありません。真の偉大さの証しは他にあるはずです。皆さんはこのことを、身をもって示されたのです。
しかし、世界はこの根本的な事実を忘れているような気がしてなりません。私たちはひとつの分岐点にさしかかったようです。この先には、全く行き先の異なる2つの道が控えています。その一方は、信頼、対話、交渉による合意を通じ、核兵器の拡散が抑えられ、逆に縮小してゆく中で、国際的保証によって平和利用を目的とした核燃料の供給が確保され、開発と経済的福祉が前進を遂げるような世界へと続く道です。
もうひとつの道は、核兵器保有の必要性を痛感する国々が急速に増え、国家以外の主体も核兵器テロを実行する手段を手に入れられるような世界へとつながります。国際社会は夢遊病者のように、この第2の道を歩き始めているようです。それは意識的な選択ではなく、誤算や不毛な議論、さらには多国間の信頼醸成・紛争解決メカニズムの麻痺によるものだと言えます。
各国政府は昨年、2度にわたって核不拡散条約(NPT)の基礎を固めるチャンスに恵まれました。5月のNPT再検討会議でも、昨年の9月にニューヨークで開かれた世界サミットでも、各国政府は国際原子力機関(IAEA)による査察強化に合意できたはずです。国々に核物質の濃縮や再処理を思いとどまらせるためのインセンティブや保証も確立できたことでしょう。軍縮の必要条件を満たすための積極的な措置にも合意できた可能性さえあります。しかし、チャンスは2度とも費えました。
その悪影響は計り知れません。NPTにはほぼすべての国が加入し、核拡散を防ぐための基盤が整備されていることを、私たちは忘れてはなりません。事実、現時点までに核保有国は25カ国を超えているだろうというケネディ大統領の有名な予言が当たらなかった裏には、NPTの大きな貢献があります。NPTの成功、これに対するグローバルな支持、その弾力性の強さも、あまりにも見落とされがちです。それだけに、NPTの文言と精神の両方を忠実に守った模範として、日本もさらに高い評価を受けるべきだと言えるでしょう。
しかし現在、NPT体制は順守面と信頼面で、二重の危機に陥っています。
NPTは、核兵器保有国とその他国際社会との契約を体現するものです。核保有国は、全般的な軍縮を進めるとともに、核兵器で非核保有国を脅すことを慎みながら、非核保有国の原子力利用に便宜を図ることを約束しました。これに対し、非核保有国は核兵器の取得、製造を行わず、現地での検証を受け入れることを約束したのです。
今、この2つの柱がともに揺らいでいます。軍縮に向けた進展は一部で見られるものの、全世界で核兵器は数千発も残っており、すぐに発射できる状態のものも多くあります。しかも、関心の焦点は、数は減らしてもより強力な武器を保有することへと移っているばかりか、紛争で核兵器の使用も辞さないというのが、昨今の政治的・軍事的考え方の主流となっているようにも思われます。
このような従来の課題に加え、新たな課題も生じています。中でも、A・Q・カーン氏をはじめとする科学者が核技術やノウハウを広く漏洩したことは、不拡散体制の弱点をさらけ出す結果となりました。しかも、核兵器などの大量破壊兵器を保有することこそが、攻撃に対する最善の防御だという考え方が台頭していることによるダメージは、最も深刻と言えましょう。
このような動きはいずれも、NPTの信頼性と権威を根底から揺るがすものです。核兵器のなし崩し的な拡散を防ぐためには、手遅れになる前に不拡散体制を強化するための大がかりな取り組みを、国際的に進めなければなりません。
一部の国々は当然ながら、拡散が重大な危険を及ぼすことを強調しています。その一方で、既存の核兵器の脅威にさらされていると主張する国々もあります。また、核燃料サイクル技術の普及による拡散の脅威は受け入れがたいとする向きもあれば、これに対し、核技術の平和利用の原則を損なってはならないと反論する国々もあります。
これらの議論にはすべて一理あります。あらゆる考え方の国々を一度に安心させる以外に道はないのです。査察を強化し、不拡散体制への信頼を高めるためには、核不拡散の義務履行を検証するグローバル・スタンダードとして、国際原子力機関(IAEA)の追加議定書を用いることに、すべての国々が合意する必要があります。
さらに多くの国々が燃料サイクルの一線を越え、すぐにでも核兵器を製造できるような技術を保有することになれば、不拡散体制は維持できなくなるでしょう。核燃料サイクル施設の開発を自主的に断念した国々には、核燃料と技術へのアクセスを保証することが必要です。私は、民生用核燃料サイクルへの多国間アプローチを模索しようとするIAEAの取り組みを、高く評価しています。
すべての国々はまた、核実験を停止し、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を図るという約束を確認すべきです。すべての国々について、兵器用核分裂物質生産禁止条約(カットオフ条約)交渉を早期にスタートさせることが不可欠です。そして各国の指導者は、世界的な核兵器の数とその役割をともに減らすため、他に何ができるかを真剣に考えなければなりません。
また、テロリストが核技術や核物質を手に入れにくくすることを目的とした安全保障理事会決議1540について、その順守を確保するため、さらなる取り組みが必要です。この取り組みは、原子力供給国グループ(NSG)が積み上げてきた実績とのすり合わせを図りながら、進めなければなりません。また、非核地帯が出来上がっていない地域にも、これを広げる必要があります。
こうした実務的な措置に加え、最も差し迫った核の脅威に対する共通の理解を作り上げる必要もあります。不拡散措置を進める前提として軍縮を求める国々と、その反対の順序を主張する国々との膠着状態を打開しなければなりません。この議論は自滅的であり、私たちの安全を脅かしているからです。
さらに、国際的な危機意識を高め続けている2つの具体的な情勢にも取り組まなければなりません。朝鮮半島情勢への取り組みは、これまで何度となく挫折してきました。しかし昨年9月、6カ国協議の初の具体的成果として、参加国は、朝鮮半島の検証可能な非核化に向けた一連の原則に合意しました。
この原則は安全保障、政治、経済などの諸側面をカバーし、各参加国による様々な公約を盛り込んだものでした。中でも重要な点として、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)がすべての核兵器と既存の核開発プログラムを廃棄してNPTに復帰し、IAEAのセーフガードを受け入れる意思を示したことがあげられます。一方、米国は、朝鮮半島に核兵器を持ち込んでいないこと、そして、核兵器によっても通常兵器によっても、DPRKを攻撃したり、侵略したりする意思のないことを確認しました。
この合意によって期待が高まっただけに、現状の行き詰まりに対する失望感は大きくなっています。相互不信などの原因により、参加国に態度を軟化させる余地はなく、原則を実施に移すことは不可能になっています。
それでも、6カ国協議に代わる現実的な選択肢は見当たりません。国際社会は協議プロセスを前進させ、事態の平和的解決を図るべく、全力を尽くさなければなりません。私は、この極めて複雑かつ慎重を要する外交的取り組みで、日本が果たしている積極的な役割を高く評価しています。また別の問題として、日本とDPRKが、拉致被害者の問題やその他の痛ましい問題をすべて解決することを望んでいます。
皆様もご承知のとおり、不拡散体制はその信頼性と実効性という点で、もうひとつの試練にさらされています。IAEAは依然として、イランの核開発プログラムが純粋な平和目的であることを検証できていませんが、これは大きな不安の種です。IAEA理事会と安全保障理事会はともに、IAEAに対する全面的協力と、ウラン濃縮作業の中断をイランに呼びかけています。肝心なことは、イランがIAEAに対し、その核開発活動に絡む疑惑を晴らすのを認めることです。
私たちも、それがイラン自身の国益にかなうことを説得する外交努力をさらに強めるべきです。私としては、現在、安全保障理事会で続けられている議論が、話し合いによる解決の模索に新たな弾みをつけることを強く期待しています。また、こうした外交的対話の幅を広げるための取り組みも、高く評価しています。イランに代わり、自国内でウラン濃縮を行うというロシアの提案は、まだ検討中であるというのが私の理解です。
このようなチャンスをとらえ、問題解決に向けて踏み出せば、世界全体だけでなく、イランにとっても大きな利益となるでしょう。実際、前進するためには、すべての当事者が交渉の席につき、向き合って話し合うしか道はありません。また温度を下げるとともに、火に油を注ぐような行動やレトリックを慎むことも必要です。さもないと、すでに不安定な世界状況において緊張が高まる一方となり、問題の解決がますます遅れる結果となるでしょう。
核兵器が国際関係の常識になるような、常に不安定な世界に暮らしたいと思う人はいません。これに代わる解決策は、手の届くところにあります。NPTは目下、信頼できる強い味方となりました。今でもそれに変わりはありません。NPTは大切にすべき価値のある成果です。日本はその伝統的な原則を堅持していると私は確信しており、核兵器の過大評価を正そうとする私たちの取り組みを支援し、各国を核開発へと向かわせる根本的な緊張状態に取り組み、そして、機能する国際的集団安全保障システムの構築をリードしてゆくものと考えます。
軍縮と不拡散への道筋を立てることは、世界サミット以降、これまで積み残されてきた課題のひとつです。さらにもうひとつの課題として、安全保障理事会改革も残されています。
安保理の構成が今日の地政学的現実にそぐわなくなったという点については、引き続き幅広いコンセンサスが見られます。安保理は開発途上国をはじめ、より幅広い国々を代表する存在となるべきであり、また、財政、軍事、外交面での国連への貢献が最も大きい国々による政策決定への関与を深める必要があるという考え方についても、ほとんど異論はないでしょう。私は常々、安全保障理事会改革なしに国連改革なし、ということを申し上げてきました。加盟国に対しては引き続き、これが実効性と正当性の両面にかかわる問題であることを認識するよう、働きかけてゆくつもりです。
しかし、国連改革には他に多くのことが絡んでいることも強調しておかなければなりません。安保理改革のみを前進のバロメーターとするのは大きな間違いでしょう。サミット以降、多くの重要な措置が講じられたことも事実です。
加盟国が人権理事会を新設したことで、人権という死活的に重要な分野での取り組みは新たなスタートを切りました。メンバーとして選出された日本は、理事会がその任務をまっとうできるよう協力できるでしょう。もうひとつ新設された平和構築委員会は、紛争終結後の特殊な課題に取り組む上で、私たちのこれまでの能力不足を補ってくれることでしょう。
人道上の緊急事態において、より多くの援助を、より早く提供できるよう、中央緊急対応基金の強化も行われました。民主化基金も発足しています。私はまた、グローバルなテロ対策戦略に関し、数多くの提言も行い、191のすべての加盟国が初めてそのような戦略に合意することになったのです。
また、国連の活動が加盟国の過去ではなく、現在の優先課題を反映できるよう、包括的なマンデート(受託権限)の見直しも行われているところです。環境、開発、人道分野 に携わる国連諸機関の活動の相互補完性をどうしたら高められるかについて模索するパネルも設置されています。
私は、このパネルへの参加を快諾された武見敬三・参議院議員に深く感謝いたします。武見氏は、きれいな水の確保、HIV/エイズなどの国連の重要な任務を推し進めるのに尽力した、橋本元総理や森元総理のような卓越した日本の指導者が作り上げてきた道を歩んでいるのです。もちろん、そのほかに平和創造と平和維持を推進する上で大いに貢献をした明石康氏や、難民の生活向上や、人間の安全を高めることに関して、グローバルな基準を設けた緒方氏のような国連の指導者も含まれます。そして最後に、国連の管理改善に対する関心も、これまでになく高まっています。
国際社会、そして国連は今、正念場を迎えています。貧困と不平等から気候変動や鳥インフルエンザに至るまで、また、テロやエイズからジェノサイド、そして人命と人体の密売というおぞましい行為に至るまで、人類はかつてないほどのグローバルな問題を抱えています。私たちは力を合わせ、グローバルな解決策を考え出す必要があるのです。
強く効果的な国連は、日本の利益そのものです。日本人の圧倒的多数の方々は、このことを理解されていると思います。その一方で私は、より若い世代の日本人にメッセージを伝えることが、今後の主な課題であると承知しています。皆様は、信念と理想を貫く限りない力をお持ちです。また、皆様が国連が実効性のあるもので、単なる象徴以上の役割をもつことをお望みであることもわかっています。皆様が望んでいらっしゃるのは、全世界の人々の生活を本当に変えられるような、生命と息づかいの感じられる国連なのです。
それはまさに、私たちの目指すところでもあります。私たちは国際社会という強力な仕組みの中で、各国の結束を図ろうと努めています。この取り組みには、日本と国民の方々の全面的なご参加が是非とも必要です。私にとって、皆様は頼りになる存在です。皆様が達成される成果を、私は今から心待ちにしています。
「どうもありがとうございました。」