事務総長、早稲田大学講演テキスト(和文)
2010年08月04日
潘基文国連事務総長講演原稿(早稲田大学、2010年8月4日)
皆さん、こんにちは、お元気ですか
丁寧なご紹介、ありがとうございます。皆さん、本日は、夏休み中であるにもかかわらず、お運びいただきまして感謝申し上げます。
長く豊かな歴史を有する早稲田大学で皆さんにお話ができることをたいへん嬉しく思っています。
貴大学は6人の総理大臣を輩出されていらっしゃいますが、もしかしたら、7人目は、本日この会議場にいらっしゃる皆さんの中にいるかもしれません。
早稲田大学でお話をさせていただきたいと申し出たのは私です。各国を訪ねるときには、私はいつも、大学生と会って話をしたいと思っています。早稲田大学はその創造性、革新的な発想でよく知られた存在でおられます。
日本の多くの大学は海外にキャンパスをつくり、留学生交換プログラムを立ち上げておられますが、早稲田大学は100年前に最初の留学生を受け入れられました。
他の多くの分野と同様、グローバリゼーションにおいても、貴大学は先頭に立っておられます。
本日はまた、明治大学と中央大学の学生の皆さん、模擬国連、国連協会のメンバーの方々にもご参加いただいていることを喜んでいます。いつもご支援ありがとうございます。
この数ヶ月間、私はイスタンブール、ロサンジェルス、モスクワ、タシケントで、そして本日は、ここ東京で、学生たちと会って話をしてきました。
世界の若者たちが多くの同じ目標を共有していることは、驚くにはあたらないことです。
より安全で平和な世界、
より環境にやさしく、持続可能な世界、
すべての人が十分に食べられる世界、
核の脅威のない世界。
これは実現不可能な夢ではありません。国連は日々、そのために活動しているのです。
日本はこの活動において、重要な役割を果しておられます。
国連にその身を捧げてきた多くの日本人の中で、代表的な方として、緒方貞子氏と明石康氏のお二人がいらっしゃいます。
皆さんのなかから、その志を継ぐ方がでてくることを期待します。
国連は、日本の若い方々のもつユニークな資質、活力、創造性を必要としています。
京都議定書から、今年名古屋で開催される生物多様性に関する会議まで。日本は持続可能性と環境において最先端に立っておられます。
日本の皆様はユニセフ(国連児童基金)に対して、他国のどの市民よりも、多くの資金を寄付されています。
今年はじめ、ハイチで大地震に襲われた際、日本政府は同国に対し、多大な支援を行いました。資金を提供し、また百人単位の工作員を国連ミッション、MINUSTAHに派遣されました。
そして、アフガニスタンに対し、十億ドル単位の資金を提供されておられます。
最も必要な場所において、こうした具体的な形で、地球的連帯を示されておられることに感謝申し上げます。
日本は、平和構築活動の主要な柱となって、国々が戦争の傷跡を乗り越えるのを支援しておられます。
人間の安全保障における国連の活動を先導しておられます。金融不安や気候変動など、私たちが多様な互いに関連する脅威に直面するなか、このアプローチはますます重要となっています。
私たちは今、安全保障の概念を拡大し、人びとの生存、生活、威厳に影響を及ぼすあらゆる要因を包括させるようになっています。私は、この分野に対する日本の関与に感謝いたしますとともに、さらなる進展に期待をするところであります。
国連平和維持活動における日本の役割は現在、再検討されておられます。私たちは、この分野、そして国連活動のすべての分野における日本の参加拡大を歓迎いたします。
日本の開発援助は寛大かつタイムリーになされ、歓迎されています。
世界経済低迷がもたらす経済的諸課題に直面する中においても、日本政府の指導者たちが、開発途上国に対する取り組みを継続されるよう望みます。それこそは、国際社会が日本をはじめとする主要先進国に期待することです。
この援助資金がどのように使われているのかについて、お話いたします。
リベリアやシエラレオネなど、西アフリカの国々は戦争から復興途上にありますが、まだ、過剰な量の銃が流通しています。日本は同地域における銃規制プログラムに資金を提供されておられます。
日本の資金は啓発活動、法律作成を助け、これらの国々がより安全になるために使われています。
中央アフリカの非常に貧しい国、タジキスタンは地震、洪水、土砂崩れに脆弱な国です。日本の援助金は病院を建て、救急治療に対応できる医者を訓練するのに使われます。自然災害が起こっても、同国の人びとは活動を継続することができます。
今日、日本の開発援助はこれまで以上に重要になっています。
ミレニアム開発目標(MDGs)の達成期限に近づくなかで、その重要性は特に高いものです。MDGsとは、世界で最も貧しい人たちの貧困削減、保健衛生、教育の改善などをめざして、2000年に先進国が合意した2015年を期限にした目標です。
私たちは歩みを進めています。しかし、さらに多くのことをすることが必要です。私は近々、今後5年間に向けて、世界の背中を押すため、MDGsサミットを開きます。
私たちは目標を達成することができます。私たちは最悪の貧困と欠乏をなくすことが可能です。
私たちは皆さんの支援に期待しております。
これらのあらゆる分野において、日本は国連にとって代えがたいパートナーです。
日本は、核軍縮の分野において、特別で唯一無二の役割を担っておられます。
私は1945年の広島、長崎の惨事を記念するため、そして、「もう二度と許さない」と言わなければならないすべての人びとに加わって、声を発するために、日本を訪れました。
私の最初の記憶のひとつは、朝鮮戦争の中、火に包まれた村を山中へと逃れ、自分たちの住むところをつくったことです。
若い方々には、恐怖、混沌、戦争の惨禍を想像することは難しいかもしれません。
皆さんがそうした経験をもたないことを嬉しく思います。できれば誰にもそんな経験はして欲しくはありません。
しかし、この地域のすべての人びとと同様、皆さんは核の脅威について、よくご存知です。
私は、国連事務総長に就任する前から、長年にわたって、その脅威を終わらせようと努力してまいりました。
軍縮とは難し過ぎる問題であるという人びとがいます。非現実的な目標であり、少なくとも私たちが生きている間は決して実現はできない、と。
それは違う、と私はここで申し上げます。
確かに、軍縮は困難です。しかし、不可能ではありません。
2008年10月、私は軍縮に関する5項目プランを提示し、安全の拡大、検証、核軍縮の法的枠組の確立、透明性、通常兵器に関する勧告を行いました。
それ以来、いくらかの歩みがみられます。
核不拡散条約(NPT)の再検討会議が5月、成功裏に終わりました。
昨年、安保理は核軍縮と不拡散に関する歴史的な会合を開催しました。ロシアと米国は新START条約を締結しました。私たちはワシントンで開かれた核安全サミットで重要な歩みを進めました。
これらの複数の出来事により、私たちは核兵器のない世界に少しずつ近づいています。私は自分の仕事は、この歩みのペースを速めることである、と考えています。
こうした理由から、私は、今年9月、ニューヨークで、軍縮会議を開催いたします。
私は、核軍縮に向けた交渉を推進いたします。
包括的核実験禁止条約。
核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)。
広島、長崎への核爆弾投下はこれらの兵器がどんなに恐ろしいものであるかを示しました。それら兵器は何世代にもわたって続く傷跡を残します。
核戦争はすべての人類にとって破局をもたらすものであることは明らかです。
それこそが国際的な法律的意見が明確である理由です。民間人は法律、人道、人々の良心の原則によって保護されるのです。
ある者が核兵器を保有することは他の者が獲得することを奨励します。それは、核拡散と、伝染的な核抑止ドクトリンの蔓延を招きます。
ここ北東アジアにおいて、私たちはその脅威をよく理解しています。
国連は朝鮮半島の情勢をとても懸念しています。私たちは、6者協議が可能な限り早急に再開されるよう期待しています。
そして、私たちは、私たちの生きている間に、核の脅威のない世界が到来することを希望しています。
これが私の本日の、そして、今回の訪日を通じてのメッセージです。
軍縮は、国際の平和と安全の構成する最も重要な要素です。
軍縮は、すべての人びとに安全な世界を実現するため、実際的に必要なことです。
私は、日本人の若い世代の皆さんが、ご両親や祖父母の皆様が点火した灯を受け継いでいかれるよう期待します。
軍縮を先導するリーダーとなってください。
被爆者の物語を語り継いでください。その証言は、核の脅威に対する、最も写実的な議論となります。
広島と長崎の記憶を生きたものとして留めるために、世界は、日本の若い皆さんを必要としています。
核兵器のない世界を実現する約束を守るために。
皆さんが自らの行動や思考の範囲を広げられるよう期待しています。皆さんの世代は国家領土を超えて、物事を考える必要があります。国際社会は皆さんのリーダーシップとビジョンに期待しているのです。
ありがとうございます。
これからも、一緒に頑張りましょう。