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国連事務局総務サービス調達部 調達支援サービス・チーフ 三井清弘さん

三井 清弘(みつい きよひろ)
国連事務局総務サービス調達部
調達支援サービス・チーフ

早稲田大学を卒業後、総合商社に7年半勤務ののち、国連工業開発機関(UNIDO)トリニダード・トバゴ事務所に赴任。ウィーン本部を経て、1991年に国連事務局ニューヨーク本部調達部に着任。2008年、調達支援サービス・チーフに就任、今日に至る。コロンビア大学で行政学修士号を取得。

幅広い分野の調達活動に徹するプロ

国連事務局で調達支援サービスを担当する三井清弘さんが扱うモノやサービスは、まさしく国連の多岐にわたる活動そのものと言えるでしょう。平和維持活動(PKO)に使用される四輪駆動車やヘリコプターから食料、燃料、医療品、本部刊行の出版物、施設設備など、国連事務局の調達は年間3,000億円規模、国連システム全体では約1兆6,083億円(2013年時点)にのぼります。今年2月、日本で初めて開催された「国連ビジネス・セミナー」でスピーカーを務めた三井さんに、これまでのキャリアと調達活動への信念を伺います。

「人生はわからないもの」

海外留学の経験もなく、インターネットでの情報入手や、Eメールでの海外とのコミュニケーションをすることもできなかった1981年に民間企業に就職した当時、国際機関は遠い存在でした。海外で仕事をしてみたいという思いで商社に就職したのですが、その後は、国連工業開発機関(UNIDO)から国連の事務局へと26年以上もの間、国際機関で仕事をしているのですから、人生はわからないものです。

当時、商社では一度入った部から異動をすることは稀でしたが、運輸部から紙パルプ部に移ったことが国連の仕事を意識する契機となりました。というのも、その商社の米国現地法人が国連と契約し、大蔵省印刷局が印刷した国連郵政局向けの切手を納入する日本側の担当者となったからです。そしてその頃に、外務省のジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)制度への募集広告を新聞で見たことが、1988年の9月に始まった国連人生の出発点です。

航空機から出版物まで 多岐にわたる調達

JPO として派遣されたトリニダード・トバゴではUNIDOのプロジェクト管理業務をしていたのですが、日本が派遣費用を負担するJPOから国連職員になるのは簡単ではありませんでした。当時は空席広告の情報が締め切り後にオフィスに届くことも多々ありました。それでも何とかUNIDOウィーン本部で勤務した後、1991年9月に空席広告でニューヨークの国連事務局の調達部に移りました。主に平和維持活動に使用される車両や通信機器を調達する仕事から始め、その後は海上・航空輸送サービス、食料、本部調達では出版物から施設設備、本部の改修プロジェクトなど幅広い分野の調達活動を経験してきました。人事や予算などの管理業務も担当し、行財政問題諮問委員会や、総会が行財政関連の議題を付託している第5委員会で調達改革や予算の案件が審議される際には、対応や説明に追われたりしています。

国連スーダン・ミッション(UNMIS)にインド国軍から参加する PKO 部隊を運ぶヘリコプター
©UN Photo/Stuart Price
国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)のスタッフから配給を受け取る現地女性
©UN Photo/Marco Dormino

国連とのビジネス、日本企業の参入を

調達官の採用も担当していますが、国連職員を目指す日本の方や、国連とビジネスをしようという日本企業の方にあまりお目にかかる機会がありません。調達の仕事は民間企業での実務経験が生かせる分野ですが、日本人の応募者はほとんどなく、調達部の邦人職員は一時の6人から半分の3人に減少。この10年の日本からの調達金額も2008年の7千6百万ドルをピークに1千万ドルに落ち込みました。昨年は2千万ドルに回復しましたが、日本人の真摯な仕事ぶりや日本の製品の品質を考えれば、まだまだ伸びる余地はあるはずです。邦人職員の増強では就職説明会が活発に行われていますし、ビジネス向けには、今年2月に東京で調達のセミナーを開催しました。邦人職員の一人として、日本には拠出金による財政面での貢献だけではなく、人材や調達の分野でももっと積極的に国連に関わって頂きたいと思っています。