国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)パレスチナ西岸地区事務所
オペレーションサポート・オフィサー 安藤 秀行さん
安藤 秀行(あんどう ひでゆき)
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)パレスチナ西岸地区事務所
オペレーションサポート・オフィサー
神奈川県横浜市出身。1995年、慶應大学法学部政治学科を卒業。日本の一般企業を退職後、98年から英ブラッドフォード大学平和学部に留学。コソボで活動する日本のNGOのインターンとして活動した1年をはさみ、2001年に同大学で修士号を取得。2003年まで日本とタイのNGOで勤務した後、2004年に国連ボランティアとして国連シエラレオネ・ミッション(UNAMSIL)、翌年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ミャンマー事務所で活動。JPO制度でUNHCRスーダン事務所に派遣された後、同パキスタン事務所、スリランカ事務所に勤務。2011年より現職。
難民に対する教育・保健衛生サービスを提供
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、1949年に設立された国連機関で、パレスチナ難民に教育と保健衛生を主とする人道支援を行っています。現在はガザ、ヨルダン川西岸地区、シリア、レバノン、ヨルダンの5つの国と地域に事務所を置き、約500万人のパレスチナ難民を支援しています。
他の多くの国連人道機関と異なる点は、UNRWAそれ自体が学校と診療所を直接運営し、UNRWA職員として採用された難民が、教師、医師、看護師, 清掃作業員として教育と保健衛生のサービスを提供しているという点です。西岸地区だけでも99の学校と42の診療所を含む約250のUNRWA関連施設が点在しています。UNRWAに限らず、国連機関には紛争地においてその政治的中立性を維持することが求められます。例えば、現地の政治勢力の活動のために国連の施設が利用されることは許されませんが、人口過密な難民キャンプの中で比較的まとまった広いスペースをもつUNRWAの施設は、そうした危険に常にさらされています。
西岸地区を走り回り、施設の査察をする毎日
私の所属するオペレーションサポート部門は、UNRWAの施設の査察を行い、政治的利用などの事態発生を防ぐことを目的として、2001年より活動を開始しました。難民として登録されている西岸地区のパレスチナ難民の約4分の3は、難民キャンプではなく村落や都市部に住んでいるため、UNRWAの250の施設は西岸地区の全域に点在しています。これらの施設を定期的に巡回し、本来の目的どおりに使用されているか確認することが、私たちの第一の任務となります。面積としてはそれほど広くはないものの、エルサレムから西岸地区の端までは舗装された幹線道路を使っても車で3時間ほどかかります。場合によっては未舗装の荒れた道を通って村落を巡ることもあるため、仕事の時間の大部分は西岸地区を走り回ることに費やされます。
現場の声を吸い上げる、情報仲介者としての役割
オペレーションサポート部門の業務内容は、査察だけというわけではありません。毎日どこかしらのUNRWAの施設を訪問しているので、私たちは現場のスタッフと触れ合う機会に常に恵まれています。こうした機会を利用して、スタッフが日頃直面している問題を現場で話し合い、必要ならばそれを教育や衛生部門、あるいは管理部門のトップに直接伝え、迅速な解決を促します。西岸事務所は地域事務所のひとつとは言え、何千人ものスタッフを抱える大きな組織です。スタッフのほぼ全員が電子メールを使う今日でも、必ずしも末端の問題が上部に十分伝わるとは限りません。こうした中で、情報の仲介者として我々の果たす機能は、一見地味ですが非常に重要だと私は考えています。
人道支援のみならず、人権保護活動も
オペレーションサポート部門は、人権保護活動におけるフィールドワークも実施しています。UNRWAはこれまで、教育と保健衛生における人道支援を事業の中心としていましたが、最近は人権保護活動にも力を入れるようになってきました。隔離壁による移動の自由の制限、農地へのアクセスの制限、住居の破壊、パレスチナ人とイスラエル治安部隊の衝突での武器の使用など、現在パレスチナ難民が直面している問題の多くは、教育、保健衛生、あるいは食料支援といった従来の人道支援だけではカバーできないものです。
こうした人権保護活動におけるオペレーションサポート部門の役割は、先に挙げたような問題が発生した場合に、いち早く現場に出向いて情報を収集することです。イスラエル側、パレスチナ側とも現地メディアが非常に発達しているので、西岸地区で何か問題が発生すればすぐにメディアの情報として広まります。さらに、UNRWA の現地スタッフの多くは西岸地区全域にいるため、ほとんどの事件の概要はその日のうちに知ることができます。事務所で毎朝行うミーティングでは、直近の24時間にどのような事例が、どこで何件発生したかという報告が行われ、パレスチナ難民が被害を受けた場合には基本的に全ての現場にスタッフが出向き、できる限り詳細に調査して報告書を作成することになります。あまり日本のニュースでは取り上げられなかったかもしれませんが、2013年はイスラエル治安部隊との衝突でパレスチナ人が死亡する事例が激増した年でした。その被害者の大半(27名中17名)がパレスチナ難民であったため、私たちもその調査のために走り回る一年となりました。
地道なフィールドワークの積み重ね
こうした事例調査とは別に、西岸地区の特定の村落でフィールドワークも実施しています。紛争に起因する様々な問題に関して情報の収集と分析を行い、イスラエルの西岸を管理している当局の地区担当者に働きかけることで、西岸地区のパレスチナ難民に関わる施策に対して提言を行っています。私個人の調査対象は、複数の村における農地へのアクセス問題です。日の出前に村に出かけて行き、西岸の分離壁に設置されたパレスチナ人農民のための特別なゲートをイスラエル国境警備隊と国防軍が開けに来るまで農民たちと一緒にじっと待つ、という地道な仕事もしています。
難民や犠牲者の家族と関わる中で思うこと
仕事をしていて一番良いと思うところは、難民の人々と直接触れ合い、彼らの問題を親身になって聞ける機会が多くあることです。もちろん難民自身や、難民キャンプ等で彼らに支援を行っている現地スタッフには及ばないでしょう。しかし、パレスチナ難民の直面している問題や西岸地区の現地レベルの情勢についてどこよりも詳細に把握することで、西岸地区事務所の意思決定に貢献しているという自負を持って業務を行っています。
逆につらいのは、事例調査をするときに犠牲者の家族に会って話を聞かなければいけない時です。パレスチナの習慣として、犠牲者の出た家とその周辺の家の壁には犠牲者の肖像を使ったポスターが数多く貼られます。家族と話をする部屋にも、当然それが貼られているわけです。犠牲者が10代の若者やもっと小さい子どものケースもあるため、その状況で憔悴しきった両親たちに話を聞くという仕事は、できればやりたくないというのが正直な気持ちです。
このように、普段からパレスチナを車で走り回っているわけですが、こちらの自然は起伏に富んでいて「本当に美しい」の一言に尽きます。一年の大半は乾燥した白い山肌が、雨の後で一斉に芽吹いた草花により、一日にして鮮やかな緑へと変わります。そしてその麓に広がるのは、きれいに耕された農地と牧歌的な村の風景。そうした景色を見るにつけ、「紛争さえなければ」と願わずにはいられません。