障害を持つ人々
およそ10億の人々が、何らかの形の身体的、精神的もしくは感覚的な障害に苦しんでいる。それは世界人口のおよそ15パーセントにあたる。障害者のおよそ80パーセンの人々は開発途上国に住んでいる。彼らはしばしば社会の主流から取り残される。差別はいろいろな形態を取り、教育や働く機会を拒否することから、もっと巧妙な差別、たとえば物理的、社会的障害を作って隔離と孤立をはかることまでさまざまである。障害についての認識や概念を変えるには、社会のあらゆるレベルで価値観を変え、理解を深めなければならない。
国連はその創設期から障害を持つ人々の地位を向上させ、彼らの生活を改善することに努めてきた(www.un.org/development/desa/disabilities)。障害を持つ人々の福祉と権利に対する国連の関心は、すべての人間の人権、基本的自由、平等という国連創設の原則に由来する。
1970年代、障害を持つ人々の人権の概念が国際的に広く受け入れられるようになった。総会は、1975年に「障害者の権利に関する宣言(Declaration on the Rights of Disabled Persons)」を採択した。これを通して総会は平等な処遇と各種サービスの平等な利用を可能にする基準を定め、その結果、障害者の社会的統合が加速した。1981年の国際障害者年(International Year of Disabled Persons)は「障害者に関する世界行動計画(World Programme of Action Concerning Disabled Persons)」を総会に採択させる原動力となった。これは障害を持つ人々の人権を促進するための政策枠組みである。行動計画は国際協力のための二つの目標を定めた。機会の平等と障害者の社会生活と開発への完全参加である。
1983-1992年の「国連障害者の10年(United Nations Decade of Disabled Persons)」の主な成果は、総会が1993年に採択した「障害者の機会均等に関する標準規則(Standard Rules on the Equalization of Opportunities for Persons with Disabilities)」であった。この規則は政策決定の際の道具となり、技術・経済協力のための基礎となる。障害者の権利と社会的状況に焦点を当てた活動が増え、その結果、「障害者の権利に関する条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)」とその選択議定書が2006年に採択され、2013年には障害と開発に関する総会のハイレベル会合が開催されるまでになった。
条約と選択議定書は2007年に署名のために開放された。2016年12月31日現在、条約の署名国は160カ国、締約国が172カ国であった。他方、選択議定書については92の署名国と92の加入国であった。条約は2008年に発効した。それは21世紀における最初の包括的な人権条約で、また、地域統合機関によって署名のために開放された最初の人権条約である。
条約は、障害者に対する態度とアプローチにパラダイム・シフトがあったことを示している。障害者を慈善や治療、社会的保護の「対象物」として見ることから、彼らの自由かつインフォームド・コンセントに基づいて決定を行うことができるばかりか、社会の積極的な一員であるとの権利を持った「人間」として彼らを見るようになった。障害者の権利委員会(Committee on the Rights of Persons with Disabilities)をはじめ、条約の国際的なモニタリング機構の事務局はOHCHRにある。他方、国連事務局の経済社会局が締約国会議をニューヨークで開催する。
障害者問題に関する多くのデータが示していることは、幅広い人権の枠組みの中で、国家の発展との文脈で、障害者問題に取り組まなければならないということである。 国連は政府や非政府組織、学術団体、専門的な団体と共同で障害者問題に関する啓発活動を進め、また政府が人権の視点から障害を持つ人々の問題に取り組めるように国の能力育成に努めている。そうすることによって、国連は障害者の問題と持続可能な開発目標(SDGs)など、国際的な開発課題と結びつけることができる。障害者のための行動に対して一般の支持が高まってきた。このことは、機会の均等化を図るために情報サービスや啓蒙活動、行政機構の改善が必要であることを示している。国連は、国々がその総合的な開発計画の中で障害者対策を進められるように、国家能力を強化する支援を行っている。