西アフリカ
2001年、事務総長は、西アフリカ事務総長特別代表事務所(Office of the Special Representative of the Secretary‒General for West Africa: UNOWA)を設置することを決めた。西アフリカ諸国が直面する互いに関連する政治的、経済的、社会的問題に取り組むために、国連とそのパートナーが参加する統合された小地域戦略を進めることがその任務である。事務所はセネガルのダカールにおかれ、2002年9月に活動を開始した。それは初めての国連地域平和構築事務所であった。2016年1月、安全保障理事会は、サヘル地域担当特使事務所の戦略的レビューを行い、二つの事務所の合併を要請した。新しく「国連西アフリカ・サヘル事務所(United Nations Office for West Africa and the Sahel: UNOWAS)(https://unowas.unmissions.org/supporting-implementation-united-nations-integrated-strategy-sahel)が生まれ、西アフリカ・サヘル担当事務総長特別代表が率いることになった。西アフリカとサヘル地域における国連システムとともに、紛争予防イニシアチブにおけるジェンダーの主流化も含め、平和と安定、よい統治を促進する地域および小地域の機関、すなわち西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、アフリカ連合(AU)、チャド湖流域委員会(CIBC)、G5サヘル(サヘル5カ国)、ギニア湾委員会、マノ川同盟が進めている事業を支援する。UNOWASはまた、西アフリカやサヘル地域の国々が行っている広範にわたる平和と安定の課題に取り組む事業も支援する。例えば、拡大する社会経済的不平等、増加する越境組織犯罪、薬物の不正取引、それにチャド湖流域においてはボコハラムの活動による治安の悪化、また、サヘル地域においては武装グループやテログループによる治安の悪化の問題である。特別代表は、国連の支援とともに、関係加盟国と地域間が、開発の欠如、社会的疎外、弱い統治に関連する紛争の要因に取り組むよう奨励している。事務総長ナイジェリア担当上級代表として、特別代表は、国際および地域のパートナーを動員し、ナイジェリア当局がボコハラムの脅威を恒久的に解決できるように支援している。
特別代表はまた、カメルーン・ナイジェリア混成委員会(Cameroon‒Nigeria Mixed Commission: CMC)(https://unowa.unmissions.org/cameroon-nigeria-mixed-commission)の議長も兼ねる。これは、ナイジェリア、カメルーン両国大統領の要請を受けて事務総長が設置した委員会で、両国間の国境画定に関する2002年10月の国際司法裁判所の判決を実施する際に生じるさまざまな問題を取り上げることになっている。これまでの成果として、ナイジェリアの撤退と権限のカメルーンへの移譲がチャド湖流域で(2003年)、陸上境界線に沿って(2004年)、バカシ半島において行われたことや(プロセスは2008年に完了)、5年間の特別移行政権の終了(2006年)、海上境界線の画定(2007年)、バカシ地帯に対するカメルーンの全面的主権行使(2013年)などがあげられる。CNMCは現在、支柱の建設、境界線の最終的地図作製、影響を受ける人々のための信頼醸成措置の実施の問題に取り組んでいる。
ボコハラムの攻撃。2014年4月、安全保障お理事会は、イスラム過激派グループ、「宣教およびジハードを手にしたスンニ派イスラム教徒としてふさわしき者たち」が4月13日、14日にナイジェリアで行ったテロ攻撃を非難した。このテロによって数多くの死傷者が出た。ナイジェリアの北東部を本拠地としているが、北カメルーン、チャド、ニジェールでも活動しており、2016年11月現在、6年に及ぶ反政府活動によって少なくとも2万人が殺害され、260万人が誘拐された。理事会は2016年5月、多国籍合同タスクフォース(Multinational Joint Task Force: MNJTF)を通してなど、ボコハラムに対するカメルーン、チャド、ニジェール、ナイジェリアによる領土的前進を称賛した。2017年1月現在、1,070万人が人道的援助を必要とし、240万人が避難しているが、2017年が危機にさらされた人々にとって転換の年になると思われる。紛争の性質が変わり始め、より多くの地域が政府の管理下に置かれるようになった。UNHCRは、主に中央アフリカ共和国やナイジェリアからのおよそ37万人の難民や避難民を保護、支援している。
コートジボアール
2002年9月、軍人グループがクーデターを起こして同国の北部を占拠した。クーデターはアビジャンでは失敗したが、その他では成功し、国土は事実上二分され、ローラン・バグボ大統領が支配する国土は南部のみとなった。戦闘によって大量の避難民が発生した。西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、政府と反政府勢力の一つが合意した停戦合意を監視する平和維持軍(ECOMICI)を設立した。2003年5月、政府と残りの反政府グループが停戦に合意した。同じ月、安全保障理事会は、合意の実施を支援する「国連コートジボアール・ミッション(United Nations Mission in Cote d' Ivoire: MINUCI)」を設立した。和平合意が達成され、バグボ大統領は2004年3月に国民和解政府を樹立した。その2カ月後、軍と「新勢力(Forces Nouvelles)」――三つの反政府勢力で構成――は停戦合意に署名した。
こうした状況に応えて、安全保障理事会は2004年初めに国連コートジボアール活動(United Nations Operation in Cote d' Ivoire: UNOCI)(https://peacekeeping.un.org/mission/past/unoci.shtml)を設立し、MINUCIとECOWAS軍の権限をUNOCIに委譲するよう事務総長に要請した。フランス軍はUNOCIを支援するに当たっては、必要なあらゆる手段をとることが認められた。UNOCIの承認された最大兵力は、6,240人の軍事要員で、幅広い任務が求められた。
2005年4月、政府と反政府「新勢力」は両者間の前線にある「緩衝地帯」から武器の撤去を開始した。この地帯はUNOCIの平和維持要員と国連承認のフランス軍の監視の下にあった。バグボ大統領とギョーム・ソロ「新勢力」事務局長は2007年3月に「ワガドゥグ政治合意」に署名した。合意は、新暫定政府の樹立、自由かつ公正な大統領選挙、「新勢力」と国軍との統合、民兵の解隊、政府支配の南部と反政府勢力支配の北部を分断するいわゆる緩衝地帯をUNOCIが監視するグリーン・ラインに代えることなどを求めた。
2010年11月、大統領選挙が行われた。独立選挙委員会は、アラサン・ウワタラの勝利を宣言した。しかし、憲法院議長は、結果は無効であるとして、バグボ氏の当選を宣言した。バグボとウワタラの両候補は共に勝利を主張し、それぞれが大統領就任の宣誓を行った。国際連合、アフリカ連合、ECOWAS、欧州連合、それにほとんどの国家はウワタラ氏の大統領当選を認め、バグボ氏に辞任を要請した。バグボ氏はそれを拒否し、国連平和維持要員の撤退を命じた。安全保障理事会はUNOCIの期限を2011年6月末まで延長し、同時に2,000人の追加平和維持要員を送ることに決めた。世界銀行は同国に対する貸付けを停止し、バグボ氏とその仲間たちには渡航を制限することが決まった。
2011年4月、ウワタラ大統領に忠実な軍隊とUNOCI、フランス部隊が行った軍事行動の結果、バグボ氏は逮捕され、政府の監視下に置かれた。憲法院は、バグボ氏に有利な2011年の決定を無効として、ウワタラ氏の勝利を示した大統領選挙の結果を承認した。2011年5月、ウワタラ氏は大統領就任を宣誓した。11月、国際刑事裁判所(ICC)は人道に対する罪を犯したとしてバグボ氏に対する逮捕令状を発行した。バグボ氏はコートジボアール当局によってハーグのICC拘置所に移送された。
2016年4月、安全保障理事会はUNOCIの期限を最終期間として2017年6月30日まで延長した。
ギニアビサウ
2009年6月、「国連ギニアビサウ統合平和構築事務所(United Nations Integrated Peacebuilding Office in Guinea‒Bissau: UNIOGBIS)」(https://uniogbis.unmissions.org/en)が設立された。UNIOGBIS は、内戦の時期を経て1999年3月に設立されたが、国連ギニアビサウ平和構築支援事務所(United Nations Peacebuilding Support Office in Guinea‒Bissau: UNISILOGBIS)の任務を引き継ぐものであった。2010年4月、再び騒乱が発生し、首相と陸軍参謀長が兵士によって一時的に拘束された。そして2012年4月、軍事クーデターが起こり、移行期間が生まれることになった。2014年の議会選挙及び大統領選挙以来、統治は麻痺していた。それは、大統領、国民議会議長、その後の4人の首相が、同国の半大統領制の立憲制度のもとに権力の分立について意見の一致が見られなかったからであった。こうした危機的状況のもとにあって、国連事務総長ギニアビサウ特別代表とUNIOGBISの団長は、ECOWAS主導の調停プロセスを容易にするとともに、それを支援した。ECOWASは6項目のロードマップを仲介し、それは2016年9月に主要な政治的ステークホルダーによって署名され、次いでロードマップ実施を目的とした10月合意(コナクリ合意)が署名された。合意は首相の任命と包摂的政権の樹立を求め、2018年の総選挙前に実施されるべき国民対話の実現と憲法、選挙、司法、安全保障の分野での改革を求めている。ロードマップの実施に対する支援をはじめ、UNIOGBISと国連平和構築委員会は国内の機関の能力を強化することによって、憲法による秩序と法の支配の尊重を維持する。また、法の執行と刑事司法制度の確立を支援、治安部門の改革戦略の発展と実施を支援し、人権一般、とくに女性の権利を促進できるようにする。そのためにUNIOGBISは、アフリカ連合、ポルトガル語国共同体(CPLP)、ECOWAS、欧州連合、その他のパートナーと協力する。
2017年2月、安全保障理事会はUNIOGBISの任期を2018年2月28日まで延長した。
リベリア
8年に及ぶ内戦後の1997年、民主的に選ばれた政府がリベリアに樹立され、国連リベリア平和構築支援事務所(United Nations PeacebuildingSupport Office in Liberia: UNOL)が設置された。しかし、1999年、政府軍と「リベリア和解民主連合(Liberians United for Reconciliation and Democracy: LURD)」との間に戦闘が始まった。2003年早々には新たな武装勢力、「リベリア民主運動(Movement for Democracy in Liberia: MODEL)」が生まれた。5月までには反政府勢力は国土の60パーセントを支配するまでになった。6月、ECOWAS主催の和平会談に出席するために当事者がガーナのアクラに集まった。その場で政府と国連支援のシエラレオネ特別裁判所は、10年に及ぶ内戦中にシエラレオネで犯した戦争犯罪の罪でテイラー大統領を起訴したと発表した。大統領は身を引き、リベリアから出国することに合意した。2週間後、政府、LURD、MODELが停戦合意に署名した。それは、包括的和平合意に達するために30日以内に対話を始めることやテイラー大統領を除く暫定政府を樹立することを求めたものであった。そうした有望な発展にもかかわらず、戦闘は拡大し、ECOWASは1,000人以上の先遣隊(ECOMIL)を展開させた。
テイラー大統領は8月半ばに辞任し、ナイジェリアに亡命を求めて出国した。副大統領のモーゼス・ブラーが後を引き継ぎ、暫定政府の首班となった。数日後、事務総長特別代表は、人道援助がそれぞれの支配下にあるすべての地域へ自由かつ妨害なくアクセスできるようにし、かつ国際援助要員の安全を保証するとの合意を関係当事者から受け取った。彼らはまた、包括的和平合意にも署名した。
2003年9月、安全保障理事会は、国連リベリア・ミッション(UnitedNations Mission in Liberia: UNMIL)を設立した。最大1万5000人の軍事要員と1,000人以上の文民警察官で構成され、ECOWAS軍から任務を引き継ぎ、かつUNOLに取って代わるものであった。その任務は、停戦を監視すること、すべての戦闘員のDDRR、すなわち武装解除、動員解除、社会復帰、帰還を支援すること、主要な政府施設や不可欠のインフラの安全を確保すること、国連スタッフや施設、文民を保護すること、人道援助や人権を支援すること、などであった。UNMILはまた、暫定政府がその組織を堅固にする戦略を進め、2005年10月までに自由かつ公正な選挙を実施できるように支援することもその任務とされた。2003年10月、3,500人のECOWAS兵士は、UNMILのもとに帽子を国連のブルー・ヘルメットに替え、ジュデ・ブライアント議長が率いるリベリア暫定政府が発足した。ブラー元大統領は大量の武器を国連平和維持要員に引き渡した。2004年遅く、リベリアの戦闘参加の民兵はUNMIL本部で行われた式典で正式に解隊された。
2005年10月、15年も続いた紛争を終え、リベリア国民は国連の支援を受けて紛争後初めての選挙を行い、エレン・ジョンソン=サーリーフを大統領に選出した。アフリカの国としては初めての女性の大統領で、2006年1月に就任した。2月末までに国内で避難生活を送っていた30万人以上のリベリア人が自分たちの故郷の村々へ帰った。2007年、リベリアは国連平和構築基金から援助を受ける資格を得、2010年には平和構築委員会の議題に載せられた。この基金は平和を確立し、安定化を図り、国の幅広い開発をもたらすプロジェクトに割り当てられる。
2016年12月、安全保障理事会はUNMILの期限を最終期間として2018年3月30日まで延長した。同時に、2017年2月28日までに、残りの軍事部門の要員を上限434名、警察要員の数を310名にまで削減するよう命令し、事務総長に対して、2018年4月30日までに、ミッションの清算を完了させる要員を除き、すべての制服組要員および文民要員を撤退させるよう要請した。
マリ
2012年、マリは大きな国際的懸念の対象となった。1月半ば、トゥアレグ族の「アザワド解放民族運動(MNLA)」は「アンサル・ディーン(AD)」、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」、それに「西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO)」などのイスラム武装グループやマリ軍の脱走兵とともに、北部の政府軍を攻撃した。3月、敗北した政府軍の兵士から不満が生まれ、それが反乱となって軍事クーデターが行われた。軍事政権が権力を握り、憲法を停止し、政府を解散させた。3月27日、ECOWASはブルキナファソのブレーズ・コンパオレ大統領に危機の仲裁を要請した。4月6日、軍事政権とECOWASは、アマドゥ・トウマニ・トゥーレ大統領が4月8日付で辞職し、ディオンクオンダ・トラオレが4月12日に暫定大統領に就任するとの枠組み合意に署名した。4月17日、シェイック・モディボ・ディアラが暫定首相に任命された。
MNLAはキダル州、ガオ州、トンブクトゥ州で政府軍を制圧し、4月に「アザワド国」の独立を宣言した。北部では武装組織の中でイデオロギー上の緊張が高まり、アンサル・ディーンとMUJAOはキダル、ガオ、トンブクトゥの州の主な町からMNLAを排除した。これらの武装組織はマリ国土の3分の2を支配下に置いた。この危機によっておよそ43万人の避難民が発生した。
2012年12月、安全保障理事会は、「アフリカ主導国際マリ支援ミッション(African‒led International Support Mission in Mali: AFISMA)」の展開を承認した。ミッションは、とくに、国民を保護できるようにマリ防衛軍を強化し、また安定化活動を支援する。事務総長は、進行中の政治・治安プロセスを支援する総合的な国連事務所をマリに設置するよう求められた。しかし、2013年1月、アンサル・ディーン、AQIM、MUJAOの勢力は南部へ前進してコンナ町が占拠されたことから、暫定政権はフランスに援助を求めた。
国連マリ事務所(United Nations Office in Mali: UNOM)」が1月21日にマリの首都、バマコに設置された。同事務所は、国政選挙へと導く幅広い国民の対話を実現できるようにマリ国民を支援した。1月29日、マリ議会は移行へのロードマップを承認した。4月25日、安全保障理事会は「国連マリ多面的統合安定化ミッション(United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in Mali: MINUSMA)」(https://minusma.unmissions.org/) を設立した。6月18日、暫定政府と武装グループはワガトゥグー暫定合意に署名した。これは特に敵対行為の停止と包摂的な対話の開始を求めていた。UNOMはMINUSMAの中に組み込まれ、ミッションは7月1日にAFISMAの活動を引き継いだ。同時にその要員の多くを保持した。マリはその月の後半に大統領選挙を実施し、イブラハム・ブバカール・ケイタが8月の決選投票で大統領に選出された。
2014年5月、マリ首相がキダルを訪問したことから同町で武力衝突が発生し、武装グループがマリ軍隊を撃退し、マリ軍隊は北部マリから撤退した。当時アフリカ連合の議長を務めていたモーリタニア大統領と事務総長特別代表による共同の努力によって、双方が5月23日に停戦協定に署名するまでになった。6月、和平交渉を期待して、武装グループは自分自身を二つの連合に組織した。アザワド運動調整連合(CMA)とプラットフォーム連合(対話のためのアルジェ予備的プラットフォーム)である。アルジェリア政府を団長に、マリ周辺諸国とMINUSMAを含む国際機関から構成される国際調停チームが、政府と二つの連合とによる会談に向けて仲介を行った。会談中には数回にわたって戦闘が発生したが、MINUSMAは敵対行為の停止を実現し、地上での緊張緩和に貢献した。2015年6月20日、三者が「マリにおける和平と和解のための合意」に署名した。合意は機構改革と治安部門の改革、開発プログラム、それに司法と和解の努力を取り上げていた。
合意の政治や機構についての規定の実施の遅れ――とくに暫定政権の樹立と停戦の違反――が合意の実施を失速させることになり、マリ防衛治安部隊の配置転換も遅れた。その結果、治安環境が深刻な程に悪化し、平和維持要員に対する非対称の攻撃件数が増加した。2016年1月1日から12月31日までの間に敵対攻撃によって27名の平和維持要員が死亡した。2015年には12名であった。
2016年6月、安全保障理事会は、MINUSMAの期限をさらに一年延長し、戦略的優先事項として、和平合意の実施、段階的な復興、国家権力の拡大の実施を支援することにした。理事会は、より積極的かつ断固とした姿勢をとるようミッションに要請し、最高1万3289名の軍事要員、1920名の警察要員までの増強を承認した。