ミャンマー
ミャンマーの軍事指導部が1990年の民主的選挙を無効にして以来、国連は包括的な国民和解のプロセスを通して民主主義への復帰や人権状況の改善のための支援を申し出てきた。1993年、総会は、早急な民主主義への復帰を訴え、そのプロセスについてミャンマー政府を支援するよう事務総長に要請した。事務総長は、そのために「周旋」を利用しながら、すべての当事者との対話を行わせるために継続的に特使を任命した。
総会は、1993年以来事務総長の「周旋」の任務を毎年更新してきた。この任務を通して、国連は四つの主要な領域での進展を期待した。すなわち、政治犯の釈放、より包括的な政治プロセス、国境地帯での敵対行為の停止、そして人道援助提供のための環境作り、であった。
2009年のミャンマー訪問の際に、事務総長は、国民民主連盟(NLD)の反政府指導者で拘束中のアウン・サン・スウ・チーを含めた全政治犯の釈放、政府と野党との実質的な対話の再開、信頼に足る正当な選挙へと導くような条件を創り出すことを主張した。しかし、その年の8月、アウン・サン・スウ・チーは3年間の重労働の判決を受けた。それはその後18カ月の自宅監禁に減刑されたが、事務総長はその判決を非難した。
2010年3月、政府は選挙に関連した新しい法律を承認した。政党登録法は服役中の人が投票を行い、または政党のメンバーになることを禁じた。これは事実上アウン・サン・スウ・チーが選挙に参加することを妨げるものであった。事務総長は、新しい選挙法は、「包括的な政治プロセスに求められる国際社会の期待」に応えるものではないと述べた。
そして5月、サイクロンがイラワジ・デルタを襲い、何万人もの人々が死に、行方不明となった。120万人から190万人の人々がその影響を受け、家を失い、疾病と飢餓の危機にさらされた。国連機関は支援を申し出たが、政府が承認したのは限られた支援だけで、外国人の支援要員のアクセスは制限された。事務総長は、危機に対してあまりにも遅い対応に懸念と失望を表明し、国際支援を受け入れるよう政府を説得するためにミャンマーを訪問した。その結果、ミャンマーは人道支援要員を受け入れ、彼らは6月早々に到着を始めた。また、東南アジア諸国連合(Association of Southeast Asia: ASEAN)が支援活動を主導することにも合意が見られ、これを通して、ASEAN・国連・ミャンマーの三者機構が成立した。
2010年11月、事務総長は、その月の選挙 ―― ミャンマーにおいてこの20年間で最初の選挙で、かつ独立以来の60年間における3回目の複数政党制の選挙 ―― は、十分に包摂的ではなく、かつ一般参加型でも透明でもなかった、と述べ、すべての政治犯の釈放を呼びかけた。11月13日、アウン・サン・スウ・チーが自宅軟禁から釈放された。
2011年8月19日、新大統領のウ・テイン・セインは共通の土台を見出すことを目的とした会談でアウン・サン・スウ・チーに会った。10月、大統領の恩赦の一部として多数の政治犯が釈放された。
2012年4月、NLDも含め、さまざま政党の候補者が議会補欠選挙に自由に参加し、アウン・サン・スウ・チーも議会に議席を得た。国連チームは多くの選挙区で投票に立ち会った。4月30日、国連と政府は2014年にミャンマーで行われる国勢調査を国連が支援することについての協定に署名した。これは30年ぶりに行われる人口調査である。こうした明るい発展にもかかわらず、事務総長は、2012年10月、北部のラカイン地域で最近発生した住民間の暴力衝突は「非常に困難」な性格の問題であると述べて、国内の無法状態に対処するようミャンマー当局に求めた。
2013年1月、事務総長はカチン州の目標に空爆を行ったとの報道に留意し、同地域に住む住民の生命を危うくし、地域の対立をさらに激化させるような行動を慎むよう当局に要請した。3月、事務総長は、連邦和平構築作業委員会とカチン独立機構とが停戦に向けた作業を進めるとの合意を歓迎し、公正かつ真の、恒久的解決に向けて努力を倍加するよう両当事者を奨励した。
ミャンマーは2014年3月30日から4月10日にかけて全国的な国勢調査を行った。国連は、とくにもっとも貧しく、もっとも弱い立場にある人々に対する各種サービスを企画、提供する際に必要となる情報を政策立案者に提供することを目的とした技術援助を提供した。ミャンマーは2014年にASEANの議長を務め、国連とASEANの協力に関して国連と緊密に作業を進めた。
2015年10月15日、政府は「全国停戦合意(Nationwide Ceasefire Agreement: NCA)の正式な署名へと進んだ。17の武装グループのうちの8グループが署名した。停戦合意は2015年12月8日に議会によって批准された。合同監視委員会や政治的対話の枠組みの準備など、停戦合意の実施に向けてさらなる措置が取られた。「連邦平和対話共同委員会(UPDJC)」が2016年1月に結成され、第1回連邦和平会議が1月12日にナイ・ピイ・タウで正式に開催された。
2015年11月8日の総選挙はNLD党に地滑り的な勝利をもたらした。国連は連邦選挙管理委委員会に選挙実施のための資料や技術援助を提供した。ミャンマーの最初の文民のティン・チョー大統領と文民政権が2016年3月30日に発足した。アウン・サン・スウ・チーは憲法の規定によって大統領になることを禁じられていることから、外務大臣となり、2016年4月6日には国家最高顧問(国家元首に等しい役割)に就任した。ミャンマー新政権は、各種グループが一つの方向に向けて統一され、より包摂的な交渉への道が開かれるように政治的対話を約束している。
ラカイン
少数民族集団、とくにラカイン族の多数の有権者は2015年11月の選挙で投票する権利を否定され、何人かは立候補する資格をはく奪された。彼らの生活環境はあまり改善されていない。ラカイン情勢に対処するために、アウン・サン・スウ・チーは2016年8月にコフィー・アナン元国連事務総長を委員長とするラカイン諮問委員会(www.rakhinecommission.org)を任命した。
2016年10月9日、ロヒンギャの集団が国境施設を襲撃し、警察官を殺害して銃や弾薬を奪った。同地域での治安部隊による作戦は人道的アクセスと人権の尊重についての懸念を提起した。12月、国連人権高等弁務官(OHCHR)は国境地帯の警察施設に対する10月の攻撃を厳しく非難する一方で、国境施設の攻撃以来2か月間にわたって続くロヒンギャ・イスラム教徒に対する報復行為によっておよそ2万7000人の人々が国境を越えてバングラデシュへ逃げ出さなければならなかったことに懸念を表明した。人権弁務官は、OHCHRはいつでも政府に助言を提供し、ミャンマーのすべての人々の人権状況を改善するための訓練と支援を提供する用意がある、と強調した。
2016年12月にはまた、事務総長ミャンマー担当特別顧問のビジャ・ナンビアール(インド)は、現地の一般市民を保護し、紛争地帯への人道的なアクセスを許可するようミャンマー当局に訴えた。特別顧問はまた、現地の人々に影響を及ぼす根本的原因、すなわち市民権と地位の問題を解決し、2012年以来国内避難民となっている人々を救済するようアウン・サン・スウ・チーに訴えた。ナンビアール氏は、12月末で任務を終了した。