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ナミビア出典「国連の基礎知識」

国連は1990年のナミビアの独立を支援した(https://peacekeeping.un.org/mission/past/untag.htm)。

「南西アフリカ」として知られていたナミビアは、国際連盟の委任統治制度のもとにおかれた七つのアフリカ地域のうちで国連の信託統治制度のもとにおかれなかった唯一の地域であった。1946年、総会は、信託統治制度の下に置くよう南アフリカに勧告した。しかし、南アフリカはそれを拒否し、1949年には、今後は同地域に関する情報を送付しないと国連に通告した。総会は1996年に南アフリカの委任統治を終了させ、同地域を「国連南西アフリカ理事会(United Nations Council for South West Africa)」の責任のもとに置いた。1968年、理事会は「国連ナミビア理事会(United Nations Council for Namibia)」に改称された。こうしてナミビアは、加盟国ではなく、国連が直接の責任を果たすことになった唯一の地域となった。1976年、安全保障理事会は、国連の監視のもとに行われるナミビアの選挙を受け入れるよう南アフリカに要求した。総会は1978年にナミビア人民による武装解放闘争に支持を表明し、いかなる解決もナミビア人民の唯一の代表である南西アフリカ人民機構(SWAPO)の合意がなければならないと述べた。1978年、カナダ、フランス、ドイツ連邦共和国、イギリス、アメリカの5カ国は、国連主催による制憲議会選挙を行うとの解決案を提出し、安全保障理事会で承認された。ナミビア特別代表が任命され、「国連独立移行支援グループ(United Nations Transition Assistance Group: UNTAG)」が設置された。事務総長と事務総長特別代表による何年にもわたる交渉やアメリカの仲介の結果、南アフリカは、事務総長に協力し、選挙によってナミビアの独立を達成させることに同意した。

ナミビアを独立に導いた活動は1989年に始まった。UNTAGはナミビア当局が実施したすべての選挙プロセスを監視かつ管理した。また、SWAPOと南アフリカとの停戦と全軍隊の動員解除を監視し、選挙プロセスの円滑化を図った。

制憲議会のための選挙ではSWAPOが勝利を収め、事務総長特別代表は、選挙が「自由かつ公正」に行われたと宣言した。選挙を受けて南アフリカは残りの軍隊を引き上げた。制憲議会は新憲法を起草し、1990年2月に承認された。SWAPO指導者のサム・ヌジョマが5年の任期で大統領に選出された。3月、ナミビアは独立し、事務総長がナミビアの初代大統領の就任宣誓式を執り行った。1990年4月、ナミビアは国連に加盟した。