西サハラ
国連は1963年以来西サハラに関する紛争にかかわってきた。西サハラはモロッコ、モーリタニア、アルジェリアと国境を接するアフリカ北西の沿岸部にある地域である。
西サハラは1884年にスペインの植民地となった。1963年、モロッコとモーリタニアの両国が西サハラに対する領有権を主張した。国際司法裁判所は、総会の要請に対する1975年の勧告的意見の中で、モロッコおよびモーリタニアのいずれも西サハラに対して領土主権を有さないとして、いずれの要求も退けた。
1976年のスペインの撤退に伴い、西サハラを「再統合した」モロッコとアルジェリアが支援する「西サハラ民族解放戦線(ポリサリオ)」 との間に戦闘が発生した。国連はその時以来から西サハラ問題の解決を探ってきた。1979年、アフリカ統一機構(OAU)は、地域の人民が自決への権利を行使できるように住民投票の実施を呼びかけた。1982年までに、OAU加盟26カ国が、ポリサリオが1976年に宣言した「サハラウィ・アラブ民主共和国(SADR)」を承認した。SADRが1984年のOAU 首脳会議に出席したため、モロッコはOAUから脱退した。
事務総長とOAU議長は共同で周旋に乗りだし、その結果1988年に解決案が生まれた。それは独立か、それともモロッコとの統合かを選ぶための停戦と住民投票を提案したものであった。両当事者は原則としてこの提案に合意した。安全保障理事会は決議690(1991)を採択し、西サハラ人民の自決のための住民投票を組織し、実施することについて事務総長特別代表を支援する「国連西サハラ住民投票ミッション(United Nations Mission for the Referendum in Western Sahara: MINURSO)(https://minurso.unmissions.org/)を設立した。1974年にスペインが行った国勢調査で18歳以上として記載されたすべての西サハラ人は、地域内外のどの地に住んでいようと、投票権を与えられることになった。有権者確認委員会が国勢調査のリストを新しくし、有権者の資格を決定する。西サハラ以外の地に住む難民については、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の援助を受けて有権資格の確認を行うことになった。
1991年9月6日、停戦が発効し、その後はMINURSOの軍事監視要員が監視を行っている。重要な違反行為は見られない。しかし、当事者は依然として解決プランの実施について意見を異にした。とくに、住民投票のための投票者の資格について意見が食い違った。1997年、妥協案が事務総長西サハラ特使から出され、有権者確認プロセスは1999年12月に終了した。協議が続いたものの計画の実施に関しては合意が見られなかった。
2004年、モロッコは特使から出された提案をはじめ、解決計画自体を拒否した。こう着状態が続いたが、明るい進展もいくつか見られた。ポリサリオ戦線が2005年8月に残りのすべてのモロッコ人捕虜を全員釈放し、2004年には、アルジェリアのティンドウフの難民キャンプに住む西サハラ難民と西サハラ地域の親戚との間の「家族訪問」計画も実現した。これはUNHCRの主催によるもので、中には30年ぶりに会う人もいた。
2007年、事務総長の個人特使は、行き詰まりの無期限延長か、それとも直接交渉か、二つの選択肢があるとの意見を述べた。安全保障理事会は、前提条件のない誠実な交渉を要請した。ついで、特使はニューヨークのグリーンツリーで当事者間の会合を開いた。この会合にはアルジェリアとモーリタニアも出席した。2回目の会合では、当事者は、コミュニケを発表して、現状維持は容認できないとして、誠実に交渉を続けることに合意したと発表した。それぞれの立場には依然として相違がみられるものの、この新しい対話は、過去7年以上もの間で当事者間が行った最初の直接交渉であった。
第3ラウンドの交渉は2008年に開催され、当事者はさらに非公式の会合を2009年、2010年、2011年、2012年に行った。しかし、いかなる会合も西サハラの将来の地位や西サハラ人民の自決を決める方法など、中核的な問題については進展がみられなかった。
2013年、2014年と2015年、特使は新たなアプローチを使って、当事者と近隣諸国との二者協議を行った。これは、当事者が譲歩による解決の要素を発展させることに柔軟であるか、それに近隣諸国がどのように支援できるかを判断するためのものであった。いくつかの考えをまとめることができたものの、立場の相違は変わらなかった。
2016年3月、事務総長の同地域訪問に続き、モロッコ政府は、MINURSOの任務を果たす能力に影響を及ぼす措置を発表した。文民部門、とくに警察部門の大幅な削減や同ミッションの活動に対するモロッコの任意の拠出金の取り消しなどである。停戦の決裂や敵対行為の再開を防ぐために、また事務総長特使が活動を続けていることから、事務総長はMINURSOの期限を12か月間延長することを勧告した。事務総長は、また、西サハラや難民キャンプにおける人権状況に今後も関与して行くよう訴え、これらの地区で活動している人権団体を支援し、キャンプ内で人道的援助を増加させるよう求めた。安全保障理事会はMINURSOの任期を2017年4月30日まで延長した。