国連ピース・メッセンジャー 五嶋 みどり さん
今回ご紹介するのは、日本出身者で唯一「国連ピース・メッセンジャー」として国際的に活躍中のヴァイオリニスト、五嶋みどりさんです。音楽活動に加え、社会貢献や教育活動に非常に熱心なみどりさんから、音楽が人々、社会、平和にもたらす影響について力強いメッセージをいただきました。
プロフィール
2007年9月「国連ピース・メッセンジャー」就任。「Midori & Friends(みどり教育財団)」や「ミュージック・シェアリング(Music Sharing)」、「Partners in Performance(パートナーズ・イン・パフォーマンス)」を中心に積極的な社会貢献活動を展開し、音楽と接する機会が少ない子どもたちに音楽教育プログラムを提供。他にも、コンサート活動、プロジェクトの企画、団体の組織や、若い音楽家たちのリサーチやトレーニングのサポートを行うと同時に、南カリフォルニア大学(USC)ソーントン音楽学校の「ハイフェッツ・チェアー」、同学内におけるコミュニティー・エンゲージメント・センターの共同ディレクター、そして弦楽学部長を務める。
みどりさんは様々な形の社会貢献に取り組まれていますが、そうした活動に興味を持たれたきっかけを教えて下さい。
80年代後半のアメリカでは、政府が芸術一般に対する予算の削減を打ち出し、特に私が住んでいたニューヨークの公立小学校では音楽の授業が削られ、音楽業界で問題になっていました。当時、周囲の大人が話題にするだけで何の行動も起こさないことに単純に疑問を感じ、自分の中で“するべきこと”というミッション的な気持ちが芽生えました。私が個人的に学校を訪問して、子どもたちの音楽教育のお手伝いをするというのでは色々制約や限界があり、活動内容をクラシック音楽やヴァイオリンに限りたくなかったので、「Midori & Friends (みどり教育財団)」を作り組織化しました。
「子どもたちと一緒に音楽の喜びをシェアしたいという気持ちや使命感が強かった」
音楽家として社会貢献活動を開始することは容易なことではなかったと存じますが、「Midori & Friends(みどり教育財団)」の立ち上げにはどのようなご苦労がありましたか。
まだ音楽の勉強に邁進すべき時期に、その本質から外れているような活動をすることが私の音楽的成長の妨げにならないかと反対する方、体もあまり丈夫でなかったために健康状態を懸念してくださる方、さらに若輩の私が活動することで売名行為と受け止められないかと危惧してくださる方もありました。演奏活動を行いながら、財団という社会的な責任を伴う活動はこなせないのではないかという意見もありました。
しかし、いずれも私には納得できる反対理由にはならず、単純に子どもたちに私の音楽を聴いてもらいたい、子どもたちと一緒に音楽の喜びをシェアしたい、という気持ちや使命感の方がずっと強かったので、反対を押し切って始めました。
最近では音楽家による社会貢献活動も盛んに行われるようになりましたが、私がこのような活動を始めた頃はあまり行われていませんでした。アイディアはあるものの、それをどのように具現化していくか試行錯誤を続けながら活動し、多くの方々にサポートしていただいて続けてこられたことに大変感謝しています。
「音楽は人と人との間のコミュニケーションを広げ、何かを理解し合う第一歩」
「ミュージック・シェアリング」などのご活動では、音楽を通して豊かな人間性を育む環境作りの手助けをなさっているとのことですが、音楽がもたらす子どもたちへの良い影響とはどのようなものだとお考えですか。
人間性の向上には、音楽に限らず様々な要素が絡み合っていると思います。音楽だけをやっていても必ずしも人間性の向上には繋がらないと思うのです。まず、自分の視点に固執しないこと。自分を一つの枠組みの中だけで捉えずに、色々なことに興味を持ち、挑戦し、視野を広げていくことが大切だと思います。子どもたちが成長していく過程で、音楽を通じ、子どもたちの視野を広げる一助となれれば嬉しいです。
本物の音楽に触れる機会の少ない子どもたちが、実際に触れて何かを肌で感じている時の彼らの目の輝きを目の当たりにすると、音楽の力というものを感じます。まず音楽を楽しみ、身近に感じてもらうことが第一で、何かを伝えようとは考えたことがありません。何を感じるかは子どもたちによって違って当然だと思いますので、子どもたちの心の中に何かが残れば大変嬉しく思います。
音楽は人と人との間のコミュニケーションを広げ、何かを理解し合う第一歩になるのではないかと思います。音楽のように何か共通したものがあれば、それをきっかけに対話やディスカッションなど交流の機会が増え、関係が深まっていくと思います。
現代社会において、人間や社会のつながりが簡素化するにつれ、子どもたちの想像力や考え方も欠落しがちであると思います。それを補うのに必要なのは、物事を多方面から見つめることだと思います。物事にはたくさんの側面があり、色々な側面から考えることが大切だと思います。これは飛躍した答えになりますが、一つの国を見るにも、地球上のことに何らかの判断を下すときも、多方面から判断することは大変重要なことだと思っています。音楽もその一つの側面になると思っています。
みどりさん自身が幼少期に音楽に与えてもらった良い影響とはどのようなものでしょうか。
ミュージック・シェアリングの活動の一環として、インドネシア・スマトラ島メダンにある寄宿舎を訪れ、子どもたちと触れ合う五嶋みどりさん(2008年12月) Photo: T. Oda練習を通じて持続力や忍耐力、向上心が身につきます。これはヴァイオリンに限らずお稽古事一般に言えることだと思います。一つの曲を練習しているとき、技術的なことを学ぶだけでなく、作曲者や時代背景などについても勉強するので、興味の対象がどんどん増えていって、好奇心が芽生え、自然に考える力がついたような気がします。今でも、一つのことから次々と疑問がわき、そのたびに図書館に駆け込んだり、大学(現在、南カリフォルニア大学で教えています)の同僚の専門家の教授に尋ねたり、インターネットでリサーチしたりしています。自分の専門外のことにも興味がわいて、視野が広がりますね。
音楽を演奏する醍醐味とは何でしょうか。
遠い過去に生きた作曲家による作品を演奏することで、その時代背景や作品の偉大さを私と同時代に生きる人たちに伝えられることです。また、私と同時代に生きる作曲家の作品を演奏していくことによって次の世代に私たちの文化を継承できることです。
どうして国連ピース・メッセンジャーになろうと決意されましたか。
このお話をいただいたとき、これまで長い間音楽を通じて社会貢献活動を行ってきたことを評価していただいたのかなぁと思い、引き受けました。
国連ピース・メッセンジャーに任命される前後で、みどりさんの社会貢献活動に変化はありましたか。
私が国連ピース・メッセンジャーに就任したからといって、今までの行動、活動内容や活動団体の理念には変わりありませんが、“国連ピース・メッセンジャー”という公の肩書きが加わったことによって、社会活動に限らず、プロの演奏者、教育者として、選ばれた人間の持つべき責任の上に立つ者であることを忘れてはならないという気持ちが生まれました。
「“ピース(平和)”は“acceptance”(受け止めること)」
みどりさんご自身にとって、「ピース・メッセンジャー」の“ピース(平和)”とは何であるとお考えですか?
“ピース(平和)”は“acceptance(受け止めること)”だと思います。“受け止める”とは、自分自身に素直になり、自分を“accept”する(受け止める)ことであり、そうすることによって心が豊かになり、初めてもっと大きな意味での平和ということが考えられるのではないかと思います。
これまでの様々な社会貢献活動を通して多くの方を幸せにされてきたと存じますが、逆にご自身がそういった活動から学ばれたことは何でしょうか。
コミュニティー・エンゲージメント活動を通して、普段のコンサート活動では体験できない貴重な経験をたくさんさせていただいていると思っています。人々との出会いや触れ合いはとても刺激になりますし、それらの活動を通してインスピレーションが湧いたり、新しいアイディアが浮かんだりすることもあります。
「学ぶ意欲、働く意欲、幸せな瞬間を持つことも、ひいては現実の貧困から解き放たれる根源」
国連は現在ミレニアム開発目標(MDGs)に取り組んでいます。そのなかでもみどりさんは「教育」について強い関心をお持ちだと伺っております。ご自身のご経験から、開発途上国の発展に教育が果たす役割はどのようなものであるとお考えでしょうか。
貧困という言葉はつい物質的なものと考えられがちですが、学ぶ意欲、働く意欲、幸せな瞬間を持つことも、ひいては現実の貧困から解き放たれる根源になると思います。教育の一つとしての「見聞知」が重なって文化が育ち、国が育ち、将来的には物質の貧困から自力で解き放たれる可能性があり、そこに音楽の力が働くと私は信じています。
みどりさんは幅広い分野にてご活躍中ですが、そのように様々な活動に取り組めるパワーの源は何でしょうか?
やりたいことをしているので、やりたいという気持ちがとてもパワーになっているのと同時に、周りの人々からいろいろなパワーをいただいていると思います。
「子どもたちが一瞬でも抱いている生活苦や将来への不安を忘れ、“希望”を目の当たりにして欲しい」
みどりさんは今後もこれまで以上の社会貢献をなさっていくことと存じますが、どういったことをしていこうと考えていらっしゃいますか。
活動の内容は、時代や社会のニーズに敏感に対応していく必要があると思っています。これまで以上に充実したコミュニティー・エンゲージメント活動を日米に限らず世界に広げ、その精神を若い世代の人たちにも引き継いでいくことによって、私個人の活動の理念が世の中に広がるとともに、国連の掲げるミレニアム開発目標(MDGs)が注目を浴び、一人でも多くの方が関心を寄せてくださる結果につながると思います。そうすることがコミュニティーの一員としての私の役割であり、国連ピース・メッセンジャーとしての役割であると感じています。ですので、それを実現するためにも一層の精進に努めたいと思っています。
私が主宰するNPO法人「ミュージック・シェアリング」のプログラムの一つである「ICEP(International Community Engagement Program)」では、これまでにベトナム、カンボジア、インドネシアを訪問し、国、文化の違いがあっても、私たちの音楽に子どもたちが素直に反応し、瞬間的にでも幸福を感じ、外の世界に目を向けるきっかけとなっていることを実感しました。私たちのできることは限られていますが、子どもたちが抱いている生活苦や将来への不安を一瞬でも忘れ、“希望”を目の当たりにして欲しいと思って活動しています。子どもたちにとっては一瞬のできごとかもしれませんが、子どもたちが目覚めるきっかけになればすばらしいことだと思いますので、今後もできる限りアジア一帯の国々を回りたいと思っています。
これから国際団体などで社会貢献に取り組もうと考えている日本の人々へ、一言メッセージをいただけないでしょうか。
自分たちが生きている社会の一員として、自分自身がコミュニティーに何を貢献することができるか常に考え、行動することは、簡単なことではありません。しかし、自分自身の可能性を信じて頑張っていただきたいです。
(インタビュアー:大竹 更/写真:佐山 好一)