国連工業開発機関(UNIDO)親善大使 原 禮之助 さん
3人目としてご紹介するのは、原子力やビジネスの分野でのご活躍から、2005年に国連工業開発機関(UNIDO)親善大使に任命された原禮之助さんです。異文化理解からビジネスまで、快活さから周りに笑顔が咲く、軽やかに弾むようなお話をお楽しみください。
プロフィール
1925年生まれ。化学を専門として学び、1952年に東京大学より理学博士号取得、ルイジアナ州立大学に渡る。1955年国連第1回原子力平和利用会議に参加し、1959年から10年間、国際原子力機関(IAEA)で勤める。その後、企業トップとして勤務、多方面での活躍が評価され2001年にUNIDO永年功労賞受賞、2005年に親善大使に任命される。
大正生まれで現在84歳、まったく年齢を感じさせないくらいお若いですね。そうしますと、太平洋戦争下の非常に大変な時期に青春時代を過ごされたのですね。
ええ、ええ。わたくしなんか、大学の授業はその頃無くて、理科系の人間はみんなロケットの燃料のために、化学工場で過酸化水素を作らされてたんですよ。でも結局それは高い濃度にすることができなくて、燃料にはなりませんでした。その頃わたくしは、戦争は実に馬鹿なことだと思っていまして。それでボイス・オブ・アメリカなんかを勝手に傍受して聞いていました。ハワイから。わたくしは今でもハワイに行ったりすると、ボイス・オブ・アメリカはここから放送されて来たんだ、なるほどと思うんですね。英語を聴くということは非常に楽しいんです。また普通の英語の勉強だってね、今みたいなやり方ではありませんでした。いろいろな小説で、翻訳できない部分だけをみんなで訳したり。チャタレー夫人の恋人とか。戦時中はいろいろと勉強できました。
なるほど、厳しい状況下でも自由に学ばれてたんですね。その後アメリカでの研究員生活を経て、1955年に国連第1回原子力平和利用会議に派遣されたとのことですが、任命が決まってどういった印象を受けましたか。
後の東大総長を勤められた向坊隆先生が国連職員になられるはずでしたが、ご都合がつかなくて代わりに行くことになりました。わたくしは日本が国連のメンバーになる前に国連職員になったのです。現在と違って、当時は国連を知る人もなかなかいませんでした。それでも非常に感激しましたね。
それから1959年から10年間IAEA(国際原子力機関)で勤められたと伺っていますが、原子力技術と社会貢献との関係を原さんはどのようにお考えですか。
わたくしはあらゆる技術は原子力技術から出たと思うんです。発電はそうですよね。リモコンや遠隔操作が可能な内視鏡、それに盗難防止に使われるICタグ。ICタグに関しましては、もともとはソ連が崩壊したときに、核関連物質がいろいろな国に流出してしまうのを防ぐためにつけられました。あとはガンの治療に使われる放射線照射、放射線の測定に使われる半導体検出器。これは原子力の技術がなかったら発展しなかった。今は環境汚染の原因となる水銀・カドミウムの分析にも応用されております。そういうわけで、現在の社会を支えているのは原子力技術から派生したものがほんとに多いのです。
原子力と聞くと身構えてしまうのが一般的なのですが、欠かすことができない技術なんですね。その後日本に帰ってから、数年間企業で勤められることになったわけですが、ビジネスの観点からでは国際協力はどのように考えられますか。
やはり、技術移転とは文化の移転なのです。基本となりますのは相手の文化を尊重するということです。けんかしても、「一杯飲みに行こう」とその辺で酒飲んで騒ぐとそれで何もなかったかのように水に流す、そういう日本のような国ばかりではないんですよ。
例えば前にアジアの国へ部品の技術移転をしたときの話です。部品を100個作る場合には、日本だと完璧主義で100の完成を目指すわけです。ところが向こうは最初の頃、50とか60くらいしかできない。それでもそこから80個くらい作れるようになると利益は出るんです。そうすると彼らにとっては、「何故80個で満足しないんですか、何故100個にするのですか」ということになるんです。50、60からではだいたい努力すれば80まで良い線はいくんです。ところがそこから90個、95個を目指すと、その努力たるや大変なものなんですよ。「何でそんな努力をしなければならないのか」と捉えられるわけです。そこはまったく文化の差で、それを納得させるのがまず大変です。相手の文化を尊重しないで「お前は怠けてる」とか、「サボってる」とか、「馬鹿野郎」とかって言うと、向こうはものすごく怒ってしまうわけです。日本だったら「何やってるんだ、少しはちゃんと働け」って言って済むことがそれでは済まないのです。
時間感覚に関しても同じで、「お前一分遅れただろ」とか言うと、相手はものすごく怒ってしまう。これがましてやアジアではなく、アフリカとかラテンアメリカのようなときは、もっとまた別の文化になるので大変です。そういう意味で海外へ技術を移転するということも、他の文化を尊重するところから始めなけれなりません。
「一時限りの援助でなく、本当の協力を考えるなら持続可能な技術移転が最も重要なのです」
そうして技術移転を通じて途上国を支援していくのが国連工業開発機関(UNIDO)ですが、どのような役割を果たしているのでしょうか。
みなさんはあまりUNIDOのことをご存知ないかもしれませんが、最貧国からはじまり、途上国への技術移転、産業移転を進められるのはUNIDOしかないんです。鉱業資源や石油などを主とした産業は一方通行なんです。つまり、それでは途上国から先進国に富が移転してしまう。持続的に途上国側に恩恵が入らないのです。途上国の持続的経済・産業発展には製造業が欠かせません。そしてこの製造業を援助できる国連機関はUNIDOしかないのです。一次産業から抜け出して次の段階の製造業を強くしないと、そういう地域の持続的な発展にはつながりません。わたくしは、その中心となる技術移転を担うUNIDOの活動はすごく大切だと思ってるんです。アジアの国々も製造業からここまで伸びてきたのですから。
そのとき日本や他の先進国の役割はどのようなものになるのでしょうか。
先進国の企業も、途上国の自主性と持続性を支える協力をしていかなければだめです。それと環境問題への配慮も忘れてはなりません。先進国からの「南北協力」も重要ですが、途上国の事情がしっかり反映される「南南協力」がもっと大切になります。それと途上国の自主性を促す、バングラデシュのマイクロクレジットとか。ああいうアイディアをサブ・サハラ、アフリカの国々に持っていくことです。製造業においても、先進国と途上国ではニーズが異なります。
先進国におけるハイブリッド車と、途上国における低価格車の、別々の流れでのそれぞれの発展は現状をよく表しております。ハイブリッド車のような複雑な車はアフリカのような途上国には向いていない。他方インドが開発した低価格車ナノは途上国向きです。ところが日本や他の先進国の企業は、決してインドで作られたナノのような低価格車を作ろうなんて思わない。先端技術のようなものばかりを対象にする。先進国の企業が、イノベーションがどうだとか言って、ナノテクノロジーだとか、ナノサイエンスだとかを扱う。けれども、インドの低価格車のように、車を2000ドルで作るのにも大変なイノベーションが必要なのです。そのためにははじめに、簡単な設計でなければならない。そして次に使う部品も安いものでなければならない。こう考えても日本や他の先進国でのイノベーションと、インドで開発された低価格車では、イノベーションと言っても性質がまったく違うのです。
このような企業の役割を国際協力の側面からみることができますか。例えば日本の企業が途上国向けに製品開発に励み、もう一方の途上国はそれによって物質的にも豊かになる、というふうに。
そうした場合、日本では、産業のなかでもこれまでに開発されてきた技術をもっと重視するべきです。伝統的で広く普及したような技術。例えばタンザニアで、オート三輪が今売れています。アフリカの途上国で欲しいのはああいう技術です。国際協力の側面でも、確立された伝統的な産業にしっかりしてもらわなければなりません。
南南協力というものを確認させていただきますと、日本や先進国からの技術移転がUNIDOを通じて行なわれ、その途上国に自発的な産業ができ、できあがったその産業がまた協力しあう。そういう協力に至るまでの一連の流れが、UNIDOを通じて形作られていく。
ええ、そういう南南協力の流れをつくれるのは、わたくしはUNIDOしかないと思っています。また、環境問題への配慮を含めましてもUNIDOが重要な役割を果たしていると思います。実際UNIDOはそういうことをやっております。UNIDOを通して日本の企業もいくつかアフリカには出ています。ひとつおもしろいのは、こうして途上国向けに技術移転をするときに、日本の技術移転は親切であると言われるんです。日本の製品は車などを見ても最初の値段は高いのですが、メンテナンスのコストを考えると断然日本の車の方が安いんです。それから発電も。小型の発電機は日本の製品は他の国の製品に比べて高い。しかし他の国の場合、壊れた場合にスペア・パーツがありますか、メンテナンスがすぐ出来ますか、ということになる。他の先進国では製造会社などもすぐM&Aで消える場合がある。そうなるとスペア・パーツもなくなる、メンテナンスも継続されない。そうするとせっかく作ったものが野ざらしになっちゃうこともあるんです。スペア・パーツとメンテナンス。トータルコストを考えればはるかに日本の製品は有利です。ですから技術移転のときは将来のコストも考えなければだめなのです。
「人生とは、リズムとハーモニーです」
たいへん興味深いお話をありがとうございました。最後に、社会貢献・国際協力に真剣に志す若者、日本の方々へ一言メッセージをいただけますか。
とにかく、人生は楽しくなければだめです。よく、結婚式で人生は苦しみだとかなんだとかいうスピーチがありますが、ああいう言葉は適切でありません。すべて前向きに捉えなきゃだめなんです。わたくしは戦時中からいろんな体験しましたが、やはり仕事は楽しみながらやらなきゃだめです。こういう言葉は日本の産業界では受けが良くありませんので、もっと物々しいことを言わなければだめなんですけど。
人生はリズムとハーモニーです。リズムを大事に、しっかりと目標を持ち、流れにのって歩みを進める。ダンスを例にとります。ダンスというのは常にパートナーと一緒です。勝手にできない。相手のことを考えなきゃいけない。そういう周りとのハーモニーです。独善論ではいけない。だから、途上国へ技術移転しても、リズムとハーモニーがなければいけません。
世界に活躍の場は無限にあります。みなさんどんなことでも、前向きに楽しんでなさってください。
(インタビュアー:山中 翔大郎/写真:山口 裕朗)