UNISDR駐日事務所代表 松岡 由季 さん
今回ご紹介するのは、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)駐日事務所代表の松岡由季さんです。UNISDRの活動についてお話を伺いました。
プロフィール
大学卒業後、民間企業海外事業部勤務、在ニュージーランド日本国大使館勤務を経て、ニューヨーク大学大学院にて修士号取得、京都大学大学院にて博士号取得(地球環境学博士)。在ジュネーブ国連日本政府代表部(外務省)にて国際人権分野専門調査員を経て、2004年よりUNISDR本部にてプログラムオフィサーとして、国連防災世界会議に関するプロセスに従事。2005年4月よりUNISDR事務局長特別補佐官を勤め、2008年1月よりUNISDR駐日事務所(在神戸)に着任、2009年UNISDR駐日事務所代表に就任し、現在に至る。
国連国際防災戦略事務局(UNISDR)とはどのような組織か教えてください。
UNISDRが設立されたのは2000年ですので、国連システムの中では比較的新しい組織です。UNISDR設立前には「国連国際防災の10年」という期間限定のプログラムがあり、その10年が終了する際に防災というのは国連として長期的に推進していかなければいけないとの認識から、10年間のプログラムを継承する組織としてUNISDRが設立されました。UNISDRは持続可能な開発に不可欠な要素としての防災の重要性を高め、自然災害による被害・損失の減少、災害リスクの軽減と災害に強い国やコミュニティの構築を目指し、防災政策・技術の促進、防災に関する国際協力の調整、防災文化構築と防災意識高揚を任務としている機関です。
UNISDRは国連の防災担当部局として、国際防災協力の枠組み構築、調整のための触媒的役割を果たすとともに、各国政府の防災政策実施を支援し、多くのパートナー機関とともに防災政策の実施推進、進捗状況のモニタリングなども行っています。地震や台風といった自然現象は止められませんが、いろいろな自然災害(natural hazards)が社会に与える影響に対し対策を講じ、人的・社会的・経済的な被害の規模を軽減することが防災政策の目的です。自然災害による被害は、社会やコミュニティの脆弱性に深く関わっています。防災とは環境、開発、教育をはじめ、様々な分野に関わる分野横断的な課題であり、各国政府及び世界中の様々な機関の取り組みに防災の視点を取り入れることが重要です。国連システム内においても、触媒的役割を担っています。国連の各機関はそれぞれ開発、環境、教育などそれぞれ専門分野をもって活動していますが、それらのグローバルレベルや地域レベルでの活動の中に防災の視点や取り組みを主流化するというもUNISDRの重要な役割のひとつです。
UNISDR本部はジュネーブにあり、各地域機関や国際機関と連携して、防災政策支援を各国政府に対して行なうため、アフリカ地域事務所(ナイロビ)、北アフリカ・西アジアを管轄するサブ地域事務所(カイロ)、ラテンアメリカ地域事務所(パナマ)、ヨーロッパ地域事務所(ブリュッセル)、そして、アジア太平洋地域は非常に広範囲なので、バンコクの地域事務所に加えて、フィジー、神戸、及び中央アジアを管轄するタジキスタンのドゥシャンベに事務所があります。またニューヨークにもリエゾンオフィスがあります。これらの事務所がその地域の各地域機関、国際機関と連携・協力し、その地域または国々の防災政策の推進を支援しています。
「防災は分野横断的な問題なので世界中の様々な機関の取り組みに防災の視点を取り入れることが重要です。」
地域ごとに防災に対するアプローチが違うということですか?
そうですね。まず、防災・減災に対する意識は国ごとにかなりレベルが異なるというのが現状です。日本のように歴史的に数多くの災害に見舞われ、防災意識が比較的高い国もありますが、意識が高いとは言えない国も多くあります。さらに地域ごとに災害の傾向には類似性があります。例えばアフリカでは深刻な干ばつの問題がありますが、他の地域ではあまり深刻ではありません。また、規模の大きな災害は1カ国だけでなく、隣接する複数の国に影響を与えることも多々あります。このことからも地域ごとに災害対策を推進するために各地域機関と連携し、その地域の国々の防災対策を支援するというのは重要なアプローチになります。そのような意味からも、UNISDRでは地域ごとに課題を議論し、防災協力の調整や連携のためのメカニズム(地域別プラットフォーム)の構築と強化を多くのパートナーとともに促進しています。
今、活動の中心とされている「兵庫行動枠組」について教えてください。
2000年にUNISDRが設立された頃は、防災分野の重要性は国際的にはまだ強く認識されておらず、優先分野とは言えない状況でした。設立以来、UNISDRは防災分野の政治的認識と防災対策の重要性を高める活動を行ってきました。その中で大きな転換期となったのは、2004年12月に起こったスマトラ沖地震と、その数週間後の2005年1月にUNISDRが神戸で開催した第2回国連防災世界会議です。そこで成果文書として採択されたのが「兵庫行動枠組2005-2015:災害に強い国・コミュニティの構築」です。これは防災・減災に関する包括的行動指針であり、現在、各国の防災政策を推進するうえで取り組みの中心となっています。国連の連携を推進する力を利用して、各国政府及び国際機関や地域機関といった支援機関が同じ枠組を通して、実施または連携を行うことで、より効果的な支援・連携・調整が可能となるという意味で、兵庫行動枠組は重要な役割を果たしています。UNISDRは防災政策の推進をこの枠組を中心に行っているとともに、兵庫行動枠組の実施進捗のモニタリングも行っています。兵庫行動枠組は2015年までの10年間の行動枠組であり、防災は長期的に取り組んでいかなければならない地球規模の課題ですので、2015年以降は更に今回の行動枠組の実施成果の状況や新たな課題を認識した上で、更なる国際的な枠組と防災協力の体制を強化してゆく必要があると思います。
神戸に所在するUNISDR駐日事務所では普段はどういったお仕事をされているのですか?
UNISDRの駐日事務所として神戸のオフィスには主に二つのアプローチがあります。一つは大きなアジア地域内に位置する事務所ということで、UNISDRアジア太平洋地域事務所であるバンコクオフィスとともに多くのパートナー機関と協力して、アジア地域の兵庫行動枠組及び防災協力推進のためのプログラムを実施するという側面と、もう一つはさらにUNISDRによる活動を強化・充実させるために、特に日本政府や日本を拠点とする多くの防災関連機関との防災協力推進、パートナーシップ構築のためのリエゾン的な機能があります。日本は地理的に多くの自然災害を経験してきた国であり、その経験を通して防災政策に関わる組織、制度や法整備、技術を改善・進展させてきました。例えば、関東大震災、伊勢湾台風、阪神淡路大震災などからの経験と教訓を生かしながら、日本の防災対策は進展してきました。また、防災教育、防災分野での研究や技術開発、早期警報システムなども国際的に多くの国と比較しても高い水準にあると言えます。日本の防災教育に関する事例は国際的にも頻繁に優良事例として紹介されています。また、国家レベルでは多くの関係省庁が携わり防災政策に取り組む必要がありますが、国によっては分野横断的な防災の課題に取り組む防災政策を担当する組織そのものが整備されていない国もあります。そのような国々に対しては他の国の事例も紹介しつつ政策支援を行いますが、防災に関する国内組織を整備する例として、日本の内閣府と中央防災会議のような組織を事例として挙げることもあります。日本の経験、技術、研究成果、知見、教訓をより国際的な防災協力に結びつけ、それらを世界の防災政策の向上に役立てるために、日本の防災関連機関との連携を強化するという側面があります。
UNISDRは、教育、環境、開発など様々な分野に防災の視点を取り入れていくという防災の主流化を目的としているので、UNISDRとして単独で何かプロジェクトをする意味はあまり無く、他の機関が実施するプログラムに防災の視点を取り入れることで主流化し、より大きなインパクトが実現できます。UNISDRは正規の職員は100人程度しかいない小さい機関なのですが、他の機関と連携することによってリーチを広げています。各国政府、国際機関、地域機関だけではなく、NGOや学術研究機関との連携が進展しています。最近では、学術研究機関は研究結果をより政策に結びつけることで研究成果を役立てたい、また研究成果のインパクトを与えられるところにつなげたいというニーズがあります。また政策や対策を講じるためには、いろいろな研究成果は政策決定のための有用な情報となります。学術研究に携わる人々と、実際に政策に携わる人々との間に距離があるのも事実です。そのようなニーズとデマンドを結びつけるという意味でも、世界の防災能力向上を目的とした国連の調整及び推進力というのは意義があると思います。そういった意味で、例えばUNISDRが2年に一度発行している国連世界防災白書(Global Assessment Report on Disaster Risk Reduction)は、多くの研究機関とも協力して作成し、政策意思決定者に有用な情報を提供することを一つの目的としています。多くのISDRパートナー機関と協力、連携して防災への対策が強化されるというインパクトを与えていくということが私達の目的です。
これまでで一番印象に残ったお仕事について教えてください。
私は2004年から国連職員としてUNISDRの本部に勤務することとなりました。UNISDRでの最初のポストは2005年国連防災世界会議にむけてのプロセスを担当する特別ユニットのプログラムオフィサーであり、世界会議プロセスに中心的に関わっていました。この会議が行なわれる数週間前の2004年12月にスマトラ沖地震が起こったこともあり、防災分野に対する国際社会の対応が注目され、政治的関心が高まりました。当初予定していた規模よりもはるかにハイレベルで大きな規模の会議となり、成果文書である兵庫行動枠組もハイレベルのコミットメントのもと、非常に包括的な内容が採択されるに至りました。当初は防災を担当している各国省庁のシニアオフィシャルレベルの会議になることが想定されていたのですが、実際は168カ国、50人以上の大臣が参加しました。その後、兵庫行動枠組は非常に重要な役割を担い、世界の防災分野での進捗につながっています。個人的にもこのようなプロセスに国連職員として従事することができたことは、非常に貴重な経験であり、また母国である日本での開催ということもあり、やりがいにつながっていると思います。
また、会議には天皇皇后両陛下、小泉総理大臣(当時)にもご参加いただき、日本が国際的な防災協力に取り組んでいるということが大きく示された場であったと思います。個人的には、世界会議の際に、天皇皇后両陛下と国連幹部の会談で通訳をさせていただいたことが特に印象に残っています。
そのときが一番大変でしたか?
そうですね。4週間前にあのような大きな災害が起きたこともあり、さまざまな調整が必要になりました。もともとUNISDR内の世界会議プロセスの特別ユニットは少人数でしたので、充実していましたが非常に忙しく、最後の数ヶ月で睡眠時間も食べる時間もあまりなかったので、約7キロ痩せましたね。もちろん今は元の体重に戻りました(笑)。大変な仕事ではありましたが、結果としてとても成果が大きい仕事になりましたし、その後2005年を境に防災分野の重要性が世界的に非常に高まったと言えます。もちろんスマトラ沖地震のような大きな災害が起きてしまったことで各国政府の政治的な認識が強まったということもあります。それまでは、防災は限られた専門家の人たちが扱っている分野であり優先課題になりにくいという現実があったのですが、各国での政治的重要性が高まったことと、様々な分野を担当している政府機関、国際機関、多くの異なるアクターのレベルで、防災ということに対しての認識が高まり、また連携して活動していくためのツールとして兵庫行動枠組が採択されたという点で、2005年は大きな転換期になったと言えます。
「大変な仕事ではありましたが、結果としてとても成果が大きい仕事になりました。」
今回の東日本大震災で、UNISDRが防災を推進していくうえで何か特に感じられたことはありましたか?
最初に、UNISDRを代表して、そして私個人としても、お亡くなりになられた方々に改めて深い哀悼の意を表し、ご遺族と被害に遭われた方々に心からお見舞いを申したく存じます。
日本は、これまでの様々な災害を通して制度・法律的にも段階的に災害対策を向上させてきた国です。そういった意味で、防災政策において模範的な国のひとつとして、国際的にもこれまで日本の事例は多く紹介されてきましたし、色々な国が日本の対策をモデルにしてきました。その中であのような大きな災害が起きたことから、震災後に、ある外国のメディアから「日本では、あれだけ防災に対して投資をしてきたにもかかわらず、このような被害が出たということは、防災対策に巨額の投資をするのはあまり意味がないのではないか」という質問を受けたことがあります。しかしそのような考え方は正しくありません。今回の地震と津波でお亡くなりになった方々と行方不明者を併せると約2万人にのぼり、それは誠に哀しい事実です。2004年12月のスマトラ沖地震では26万人以上の方がお亡くなりになりました。UNISDRのトップであるマルガレータ・ワルストロム国連事務総長特別代表(防災担当)は、メディアインタビューで次のように答えています。「日本で、もしも防波堤など防災対策への投資がなければ、また学校などで防災教育や防災訓練が行われていなかったとしたら、被害はさらに大きな数字になっていたことでしょう」。実際に防災教育のおかげで釜石市の小中学校の生徒の多くが高台に逃げて助かったなど、防災教育が活きた事例は沢山ありますが、あまり外国メディアに伝わっていないのも事実です。
国際的な議論の中で、ソフトとハードを組み合わせた災害対策、防災教育などの重要な優良事例、教訓、課題など、日本の今回の経験を世界に共有していくことが、地球上のさまざまな場所で常に起こる可能性のある災害に備えるためには非常に重要であり、国際社会が日本に期待していることでもあります。UNISDRではそのような機会を提供していきたいと思っています。例えば、今年5月8日から13日にジュネーブでUNISDRが2年に一度開催している「Global Platform for Disaster Risk Reduction」という防災に関する大きな会議がありました。日本政府からは防災副大臣が参加し、東日本大震災の経験を発表していただきました。国際的な関心が高い中で、直接日本の副大臣から国際社会に日本の経験を発信する機会は非常に有意義であったと思いますし、また日本が今後とも国際的な防災協力へコミットしてゆくという姿勢が示されたという意味でも、非常に意義のあることだったと思います。今回、ジュネーブの会議において、兵庫行動枠組の10年が終了する2015年を目処に第3回国連世界防災会議を招致する意向を日本政府が表明したことは、そのコミットメントが具体的な形で示された例だと思います。
「日本から事例や教訓を世界にシェアしていくことが重要です。」
防災のお仕事をされている中で今回のような大災害に直面して、考え方が変わったことはありますか?
私は1995年阪神淡路大震災の際には大阪にいたので、地震のときは大きな揺れを感じました。阪神淡路大震災後、日本の災害ボランティアに対する考え方が進展していく様子などは非常に興味深いと思いました。また、国連職員という立場で防災の分野に携わる中で、以前から防災分野は日本が国際的に大きなプレゼンスを示し、貢献していける分野だという認識をもっていましたし、その認識は今も変わりません。今回の災害を経験したからこそ、日本には更に防災分野で国際的にも貢献していただきたい、そしてそれを国連職員という立場でお手伝いしていきたいという強い気持ちを再確認しました。一般的に大きな災害を経験した国は、国内の対応や復旧・復興で大変になりますので、国外に教訓や事例を発信したり、国際協力に貢献することが難しくなる状況は仕方のないことだと思います。しかしながら、国連としては、日本が引き続き国際協力の場でプレゼンスを示していってほしいと願っています。今回の震災後、多くの国々から日本への支援が差し伸べられました。それによって、日本が多くの国から感謝と敬意を集めている国だということを多くの日本の方々は感じられたと思います。開発途上国も含めて多くの国から支援が届きました。これまで日本がODAなどを通して、世界中の国々をいろいろな形で支援をしてきたからこそ得られた敬意と感謝の気持ちの表れが、支援に繋がったのだと思います。そういったことからも、是非これからも国際協力、特に多くの経験と知見を有する防災分野において貢献を続けていただきたいと願っています。また、UNISDR駐日事務所としてもそのお手伝いをしていきたいと思っています。
このインタビューを読んでいる人にメッセージをお願いします。
私は約10年日本を離れていて2008年にUNISDRの駐日事務所に転勤という形で日本に戻りました。最近、日本の若者に内向き傾向の方が増えているということを報道で目にすることがあり、少し驚いています。というのは、私がお会いする日本の若い方は、非常に国際的なことに関心があり、アクティブな方が多いからです。そもそも国際機関の活動に興味のある方というのは、その時点で内向きではないのだとは思いますが、そういった国際的な仕事に関心がある若い方は、是非幅広い経験をして色々なことを吸収していただきたいと思います。また国連職員を目指している方は修士号を取得して、JPOや国連競争試験を受けてという風に、どうしても最短距離を考えてしまうと思うのですが、実務経験というのはその人のコアになる部分だと思います。当然JPOも国連競争試験も数年の実務経験は必須条件ですし、実務経験が非常に重要な評価対象になります。大学卒業後すぐに修士号を取得したとしても、その後何十年も仕事をする期間があるわけです。最短距離ばかりを考えずに長い目で自分のキャリアを見据えて、自分のスキルを磨き、アピールできるポイントを増やすためにも色々な経験をして欲しいと思います。私自身、最初は民間企業に勤め、外務省のポストを経験し、その後国連職員になりましたので、最短距離で国連職員になったわけではありません。しかし、振り返ってみると、自分が経験した仕事はすべて自分のスキルやアピールできるポイントに繋がっていますし、それがあったからこそ、国連職員としての現在の自分があると思っています。一見関係の無いように思える最初の民間企業での仕事も、いろいろな業務をこなす上での基礎を得られた時期でした。大学院に留学する前に短期間ですが、NPO(特定非営利活動法人)の業務に携わっていたこともあります。民間セクター、NPO、政府、国際機関という4つの異なるアクターの立場で勤務経験があるため、それぞれの立場をより理解できるという意味では、現在の国連での業務を遂行する上で非常に役に立っています。是非、今の若い方々も貪欲に色々な経験をして、いろいろな立場のアクターを理解できる人材として、国際的に活躍する若者が増えることを願っています。
「若者には最短距離だけを考えるのではなく、貪欲に色々な経験をして欲しいと思います。」
(インタビュアー:前田怜那/写真:山口 裕朗)